忖度してる場合じゃない

7月9日、一転、感染再拡大の影響で、東京など1都3県ではすべての会場で無観客開催が決定。五輪を無事開催するために緊急事態宣言しておきながら有観客開催だったらメッセージがブレすぎている、そりゃそうだよ無観客だよ、というのが私の感想である。

あのいっとき有観客に振れたのも、一種IOCへのアリバイづくり——僕らも有観客開催の可能性はもちろん探ったんですけどね、的な——じゃなかったのかと邪推したくらいだが、政府はメンツを立てるためにかなりギリギリまで有観客に固執していたとの報道もあり、本気だったのかとむしろ驚く。だが無観客支持の世論が秋の総選挙を人質に取って沸いたため、断腸の思いで都市部の無観客転換に至ったというから、沸いただけの効果があったのだなぁとかみ締めた。

あまり普段「ネットのチカラ」のようなものを過大評価しないようにしているのだけれど、今回は「なるほど、戦前と違ってネット社会であること、一般の人が意見を表明できるSNSがあるということは、忖度型の地滑りを阻止できるってことだな」と感じた。

実名や実社会では角を立てづらい日本人も、SNSや記事コメントでなら雄弁だ。みんな、自分の意見を持っていないわけじゃないのである。「教師が聞きたくない発言は私語扱い。だから私語禁止! 静かに!」と、口を開けない教育を長らく受けてきてしまっただけなのである。

実社会で口を開けないなら、ネットでいい、どこかに残さないと。SNSですら人の顔色見て忖度してる場合じゃなくて、意見はどこかでちゃんと言っておかないと、アウトプットしておかないと、そんな意見は存在すらしなかったことになる。議事録に「反対意見なく満場の一致」と書かれて採決される歴史を繰り返している場合じゃないのだ。

2020年、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大のため東京五輪延期。2021年、ワクチン接種普及への注力が一定の効果を見せ、無観客で東京五輪開催へ。あの夏の正解も、この夏の正解も、誰もわからないけれど、この時代を生きる自分たちなりに考えたことを必ずアウトプットして歴史の議事録に残すことは、きっと諦めちゃいけないんだと思う。

河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト

1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。