幼い時からの夢「父と魚屋をやりたい」
「今日はお嬢ちゃんと一緒なの?」
父で、寿商店を創業した社長の森嶢至さん(61歳)とともに、初めて名古屋市中央卸売市場まで朝の仕入れに行った約10年前、朝奈さんはあちこちからそんな声を掛けられた。
「当時、私は24~25歳。商売相手として見られている感覚は全く持てませんでした。実際、私は父のような魚の目利きはできないし、実力がないのでそう呼ばれても当然だな、と……。でもとにかく悔しくて、すごく勉強しました」
今では、誰もが認める社長の片腕となり、「頼れる二代目」の朝奈さんだが、東京での会社勤めを辞めて名古屋にUターンしてきた当時は、魚屋としての知識や経験もなく、自信もなかった。それでもあきらめず食らいついていけたのは、幼い頃からの夢があったからだ。
朝奈さんは、幼い頃から魚屋の父に憧れて育った。そのきっかけは幼稚園のころにさかのぼる。
「幼稚園で、魚の絵を描く機会があったんです。ほかのみんなが、焼き魚や切り身の絵しか描けないので、先生が『じゃあ、森さんのお父さんに魚の解体を見せてもらいましょう』と、父が幼稚園で魚をさばいてくれたんです。包丁片手に大きなブリを手際よくさばく姿を見た友達が『朝奈ちゃんのお父さん、めちゃくちゃカッコいいね』と絶賛してくれた。私自身も『かっこいいな』と思うようになったんです」
その気持ちは、大きくなってからも変わることはなく、「いずれは父と魚屋をやりたい」という思いを持ち続けて大人になった。
ECを学ぶため楽天に
ただ、大学を出てすぐに寿商店に入っても、自分が貢献できることはない。「跡取り」として、家業に役立つ“何か”が必要だと考えた朝奈さんは、2009年に早稲田大学を卒業してネット通販で急成長を遂げていた楽天に入社する。
「父が『ネットで魚を売りたい』と言うのを聞いて『これだ』と。EC(ネット通販)について学べば、家業に貢献できるのではないかと思ったんです。入社面接でも『家業を継ぐため、ECについて学びたい』と熱く語りました」
楽天に出店する店舗を支援するECコンサルタントを希望していたが、社長室に配属。父の嶢至さんが体調を崩したのを機に退職し、2011年、名古屋に戻ってきた。
とはいえ、最初から社員として寿商店に加わったわけではない。「古参の社員さんたちに受け入れてもらえるかが重要だと思ったんです。社長の娘だからといって、いきなり入社するのは印象が悪いのではないかと」
そこでまずは、同社が経営する居酒屋のアルバイトから始めた。居酒屋の店内の掃除や接客など、深夜にわたるハードな仕事。大企業の会社員生活から大きく変わったが、苦にはならなかった。ただ、この頃の父の嶢至さんは、朝奈さんが魚屋に入ることを一切許さず、包丁にも触らせてくれなかった。