森朝奈さん(34歳)は、名古屋市を中心に、鮮魚の販売や居酒屋を展開する寿商店の二代目だ。東京の大学を出て、IT大手の楽天で働いていた朝奈さんは、なぜUターンして家業を継いだのか――。
マグロの解体ショーを行う森朝奈さん(右)と父・嶢至さん(左)。
写真=森朝奈さん提供
マグロの解体ショーを行う森朝奈さん(右)と父・嶢至さん(左)=2019年撮影

幼い時からの夢「父と魚屋をやりたい」

「今日はお嬢ちゃんと一緒なの?」

父で、寿商店を創業した社長の森嶢至たかしさん(61歳)とともに、初めて名古屋市中央卸売市場まで朝の仕入れに行った約10年前、朝奈さんはあちこちからそんな声を掛けられた。

「当時、私は24~25歳。商売相手として見られている感覚は全く持てませんでした。実際、私は父のような魚の目利きはできないし、実力がないのでそう呼ばれても当然だな、と……。でもとにかく悔しくて、すごく勉強しました」

今では、誰もが認める社長の片腕となり、「頼れる二代目」の朝奈さんだが、東京での会社勤めを辞めて名古屋にUターンしてきた当時は、魚屋としての知識や経験もなく、自信もなかった。それでもあきらめず食らいついていけたのは、幼い頃からの夢があったからだ。

6~7歳ごろの朝奈さん(左)と父・嶢至さん(右)
6~7歳ごろの朝奈さん(左)と父・嶢至さん(右)。(写真=森朝奈さん提供)

朝奈さんは、幼い頃から魚屋の父に憧れて育った。そのきっかけは幼稚園のころにさかのぼる。

「幼稚園で、魚の絵を描く機会があったんです。ほかのみんなが、焼き魚や切り身の絵しか描けないので、先生が『じゃあ、森さんのお父さんに魚の解体を見せてもらいましょう』と、父が幼稚園で魚をさばいてくれたんです。包丁片手に大きなブリを手際よくさばく姿を見た友達が『朝奈ちゃんのお父さん、めちゃくちゃカッコいいね』と絶賛してくれた。私自身も『かっこいいな』と思うようになったんです」

その気持ちは、大きくなってからも変わることはなく、「いずれは父と魚屋をやりたい」という思いを持ち続けて大人になった。

ECを学ぶため楽天に

ただ、大学を出てすぐに寿商店に入っても、自分が貢献できることはない。「跡取り」として、家業に役立つ“何か”が必要だと考えた朝奈さんは、2009年に早稲田大学を卒業してネット通販で急成長を遂げていた楽天に入社する。

「父が『ネットで魚を売りたい』と言うのを聞いて『これだ』と。EC(ネット通販)について学べば、家業に貢献できるのではないかと思ったんです。入社面接でも『家業を継ぐため、ECについて学びたい』と熱く語りました」

楽天に出店する店舗を支援するECコンサルタントを希望していたが、社長室に配属。父の嶢至さんが体調を崩したのを機に退職し、2011年、名古屋に戻ってきた。

とはいえ、最初から社員として寿商店に加わったわけではない。「古参の社員さんたちに受け入れてもらえるかが重要だと思ったんです。社長の娘だからといって、いきなり入社するのは印象が悪いのではないかと」

そこでまずは、同社が経営する居酒屋のアルバイトから始めた。居酒屋の店内の掃除や接客など、深夜にわたるハードな仕事。大企業の会社員生活から大きく変わったが、苦にはならなかった。ただ、この頃の父の嶢至さんは、朝奈さんが魚屋に入ることを一切許さず、包丁にも触らせてくれなかった。

父への手紙

半年ほど経ったころ、朝奈さんは嶢至さんに、「入社させてほしい」という思いをしたためた手紙を書いた。

「私は小学校の卒業アルバムに『将来は魚屋の父の跡を継ぎたい』と書いていたんです。そうした私の思いも書きました。父がどういう気持ちで寿商店を立ち上げ、大きくしてきたか、その思いは計り知れないけど、私にもできることは必ずあるはず。父の代わりになるのではなく、寿商店を父と一緒に盛り上げたい、という思いを手紙にしました」

嶢至さんから返事はなかったが、その後すぐ、朝奈さんは、社員として入社することになった。

手紙を受け取った嶢至さんが、どう受け止めたのか。長い間わからないままだったが、5年ほど前、テレビの取材で、嶢至さんが、財布の中から大事にしまっていた朝奈さんの手紙を取り出していたのを目にした。

「『まだ持っていてくれていたんだ』と、うれしくて泣いちゃいましたね」

自分で学ぶしかない

寿商店の一員にはなったが、嶢至さんは仕事を手取り足取り教えてくれるタイプではなかった。

2020年、コロナ禍前。市場で仕入れ中の朝奈さん(右)と父・嶢至さん(左)) 写真=森朝奈さん提供
2020年、コロナ禍前。市場で仕入れ中の朝奈さん(右)と父・嶢至さん(左)。(写真=森朝奈さん提供)

魚の仕入れに同行し「どうしてこの魚を選んだの?」と尋ねても「言葉で説明できるものではない」と何も教えてくれない。朝奈さんは、毎朝仕入れた魚をスマートフォンで撮影し、自分で学んでいった。

「そうすると、良い魚の選び方や、適正価格も少しずつわかるようになってきたんです。『今日はマグロが安いよね』とジャブを打ってみると、『おお、わかってるなあ』と、ちょっと認めてくれたりして。今でも、仕入れは絶対に譲ってくれなくて、必ず一緒に行くんですが、『今日の白身(の魚)は買っておいてくれ』と、やっと少し任されるようになったのは去年くらいですかね(苦笑)」

魚のおろし方も、ほかの新人には丁寧に教えるのに、朝奈さんには全く教えてくれない。そこで彼女は、自分で魚を買ってきて、家でネットでやり方を調べ、さばく練習を繰り返した。

ある時、たまたま嶢至さんの前で魚をさばく機会があり、やって見せたところ「意外とデキるな」とほめられた。

「それからは、『この魚の頭を取っておいてくれ』など、任されるようになりました」

朝奈さん(左)と父・嶢至さん(右)
写真=森朝奈さん提供
朝奈さん(左)と父・嶢至さん(右)=2012年ごろ撮影

会社員経験生かし、何をすべきかを探す

魚屋としての経験も浅く、自分にできることは少ない。「父の代わりにはなれない」と考えた朝奈さんは、「父ができないことは何でもやろう」と考えた。

武器になるのは「視点」だ。大企業で働いた経験を持つ朝奈さんなら、家業を客観的に分析し、今後寿商店が成長するために必要なものは何かを見つけることができる。朝奈さんは「大学を卒業して、(企業に就職せず)社会を知らないまま名古屋に戻らなくてよかったと思いました」と振り返る。

朝奈さんが入社した当時の寿商店は、「父がいないと回らない」(朝奈さん)状況。嶢至さんの指導がなければ、どこに何があるのか、どこにどうやって発注をかけるのかさえわからない。これでは、何かあったときに会社が回らなくなってしまうし、嶢至さんが休めない。

「まずは、父が社内でどんな仕事をしているのかを明らかにする『父の仕事の棚卸し』をする必要がありました」

そんな中で朝奈さんが最初に手を付けるべきと感じたのが、受発注だった。

在庫の管理、どのタイミングで何をどこに発注するかの判断、すべてが嶢至さんの頭の中にあった。仕入れも、嶢至さんが冷蔵庫の中を見て「○○がないから買ってくるわ」と判断していた。

入社から1年ほど経ったころ、朝奈さんは、ここをIT化し、受発注システムを導入しようと考えたのだ。

反対を押し切り進めた現場DX

しかし社長の嶢至さんには「お前は全然わかっていない」と、真っ向から反対された。
「『オレが全体を見ているから利益が出ているんだ』というのが父の主張でした。確かに、この時まではそうだったと思います。その一方で、父自身も『あそこにも出店したい』『これもやりたい』とさまざまなアイデアを出すんですが、すべての仕事を一人で抱えていると実現できません。居酒屋の出店も2店舗が限界。それをいくら説明しても理解してもらえない。これまでで一番大きなケンカになりました」

意見は食い違ったまま。「でも、父は結果を出せば必ず認めてくれる人。この時は『私が全部やるから』と宣言して押し切りました」

しかし、反対していたのは嶢至さんだけではなかった。現場のスタッフは、パソコンを触ったこともない人もおり、拒否反応も強かった。どうしてもなじめず、会社を離れてしまった職人もいたほどだ。

「それでも会社の未来を考えると、『今、やらなければいけない』という思いでした」

システムが入ると、各店舗の料理長が食材の在庫管理を行って発注までできるようになった。魚については嶢至さんと朝奈さんが、そこでまとめられたデータを見て市場に仕入れに行く。

業務が効率化しただけでなく、ほかの社員に仕事を任せられるようになったため、嶢至さんの仕事量を大幅に減らすことができた。「在庫を自分で確認する必要がなくなったので、父の朝の出勤は2時間くらい後ろ倒しにできるようになりました」

IT化を土台に店舗数を拡大

システムの導入は、効率化を促しただけでなく、それまで社長の頭の中にあったノウハウや知識を、仕組み化して共有することにもつながり、その後の寿商店の成長の基盤ともなった。「(当時)2店舗だった居酒屋などの店舗数を、12店にまで増やすこともできるようになりました。父も今ではこの受発注システムをとても気に入って、知り合いのほかの社長さんたちにも勧めているくらいなんですよ」と朝奈さんは笑う。

10年ほど前から、フェイスブックやツイッターなどのSNSにも力を入れ始めたが、これも最初は嶢至さんをはじめとした職人たちに反対された。

YouTubeチャンネル『魚屋の森さん』では、魚の調理方法などを紹介する動画を公開している
YouTubeチャンネル『魚屋の森さん』では、魚の調理方法などを紹介する動画を公開している

「『社内の写真を撮るな』『なんで知らない人に店のメニューを見せなきゃいけないんだ』と彼らは言うんです。それが今では、父が一番ハマっていて、私とフォロワーの数を競ってくるほど。私が始めたYouTubeにも出たがるんですよ」

7年ほど前から、売り上げや来店者数に、SNSの効果があらわれるようになってきたことが大きかった。「最近は父も、『ネットの力はすごいなあ』と言っています」

もっと多くの人に魚の魅力を知ってほしいと、コロナ禍が始まった1年前に始めたYouTubeでは、旬の魚のさばき方や調理方法などを紹介する動画を公開。今では約13万6000人の登録数(2021年6月21日時点)を抱える人気チャンネルとなっている。

「父が積み上げてきたものがあるから今がある」

寿商店に入社してから、ホームページや店舗のメニューデザインのリニューアル、会社ロゴの作成、スタッフに向けた行動指標の制定、就業規則の整備など、さまざまな施策を推進してきた朝奈さんだが、「かつて大きな企業で働いた経験がすごく活きている」という。

森朝奈さん
森朝奈さん(写真=本人提供)

「『雇用される側』の気持ちもわかりますし、何より、仕組み化された『組織』で働いたことで、寿商店に足りないもの、これからやるべきことが見えたことが大きかったです。また、楽天はすごくスピードを重視する会社だったので、そういったところも大きな影響を受けました。今の私も『今日思いついたことは今日やる』みたいなところがあります」

こうして寿商店にさまざまな変化をもたらした朝奈さんだが、強引に自分流を押し通したわけではない。「父が積み上げてきたものがあるから今がある。リスペクトを持ちながら、父がやってきたことを否定しないようにしています」

父の嶢至さんも、そろそろ朝奈さんへの代替わりを考え始めているようだ。「父が65歳になるまでには、私が代表を引き継げるよう準備をしています。でも、『生涯現役でいたい』という意識も強い人なので、父の居場所を残しながら、並んで走れる間は一緒に走っていきたいです」

(後編に続く)