もう触れたくない人物

二つめのスルーの理由は、告発の相手が引退し「過去の人物」であること。「いまさら、寝た子(大物芸人の乱行)を起こさないでほしい」。特にテレビの世界にはそんな気持ちがあるのではないだろうか。いわゆる黒い噂とともにくだんの大物芸人が引退して以来10年。その間に、芸能界はもともと歴史的に長らく内包していたグレーさをいかにクリーンにするかを迫られ、内外から改善を進めてきた。

たとえば業界からの反社会勢力による影響力の排除や、芸能人に広がる薬物使用の摘発など。音楽関係者やタレントなど、たくさんの芸能関係者が薬物使用の疑いで逮捕され、またお笑い芸人が軽犯罪や闇営業や何らかの不正受給や税金の滞納やセクハラ発言などで大量に解雇・謹慎処分を受けてきたのがこの10年間だ。警察による刑事的な捜査はもちろん、「世間」による社会的な制裁も課され、芸能界にとって清潔さは生命線となった。

それは芸能界と密な関係を築きながら番組やコンテンツを制作するメディア側でも同じことで、長時間の過重労働に陥りがちな業界の労働環境の改善や、組織におけるハラスメントをなくす努力などが制作物そのものクオリティと同じくらいに重要視され、評価基準の一つともされてきた。ここ数年、表現の場で「コンプライアンス」なる言葉が一種の流行り言葉のように使われてきたことからも、コンテンツ制作に関わる人々が自分たちのありようを意識的に変えようと向き合い、新しくクリーンな発信を目指してきたのがわかる。

日本社会は、まだまだグレー

つまり、演じる側の人々にとっては何らかの「芸のこやし」と許容してきたような無頼な反倫理的行為、制作発信する側の人々にとっては「それが我らマスコミらしさ」と自負してきたような殺伐とした俗物性にメスが入り、静かな新陳代謝を伴いながら膿を出してきたのだ。

先の大物芸人の引退は、まさにそうした新しい時代が始まるきっかけであり、象徴でもあった。だからこそ「もう今さらそこに触れたくない」「せっかく片付けたのだから、過去のものにしておきたい」というのが、10年かけてクリーンアップを進めてきた人々の本音なのだろう。

だから、確かにマスコミは積極的に擁護もせず、「黙ってスルー」していても、その代わりにマリエさんを叱ったり責めたりすることもない。それが意味することとはつまり「沈黙は静かな同意」、口にしないだけの承認なのだ。

日本では、「被害者として共感されるのにも条件がある」。条件つきで告発を認めてもらえるような社会は、まだまだグレーだということである。

河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト

1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。