どん底の景色を見た経験が生き方に影響

「メイクの仕事でいろんな人を見てきたから、どんな反応も面白がる癖があるの。変わっている人ほど面白いし、アクの強い人には興味がわいてくる。意地悪する人の心情も、なるほど男の嫉妬はこういうものかとわかれば、あまり腹も立たなくなります。私はもともと浮き沈みのある家庭環境で育ち、戦争で何もかも失くした親のどん底を見ていたから、周りの人がいかに離れていくか、どんな人が近寄ってくるかもよく見ていた。どん底の景色を見ることは大切で、自分の生き方にも関わっているのかもしれませんね」

子どもの頃からの体験が自立の意思を育み、人を幸せにするという仕事の夢につながったのだろう。美容業界の最前線で奮闘してきた小林は、1991年にコーセーの役員を辞任。56歳で会社を創業し、「美・ファイン研究所」を設立する。自身が生み出した〈ハッピーメイク〉のノウハウを提唱し、59歳のときに「[フロムハンド]小林照子メイクアップアカデミー」を開校。数多くの人材を世に送り出してきた。

「3つの会社が100年後も続くように」86歳が描く夢

2010年、75歳で「青山ビューティ学院高等部」をスタートし、多感な高校生たちの教育にも情熱を注ぐ。美容とは自分を愛することが原点にあり、それがあってこそ他人に思いやりを持てる。美容を通して自分を表現し、美意識を磨いていく学びを実践してきた。

青山ビューティ学院高等部の学長(右)は孫と同じ世代。
[フロムハンド]メイクアップアカデミーの学長、関野里美さん(右)は孫と同じ世代。(撮影=遠藤素子)

その傍ら、美容のプロを志す若者たちを支援する奨学基金、社会で活躍する女性人材の育成にも取り組む日々。86歳を迎えた今、さらなる夢があるのだろうか。

「30代の頃からずっと10年後の未来を描きながら、何をすべきかを考えてきました。今はさすがに10年後とは思わないけれど(笑)、もっと近未来のことを考えます。私は3つの会社を興しているので、どうやって未来を担う人に渡していくか。そのためには人を育て、次の世代に委ねることが大事。学校というのは灯をともし続けなければいけません。卒業生にとって母校がなくなるということはあってはならないこと。これは私のポリシーでもあります。100年、200年と続けていくにはできるだけ若い人を育てて後継者にする。それが今の使命ですね」

小林が掲げる理念は「アーツ&ビジネス」。人を育てることは楽しく創造的なアートだが、ビジネスとして存続しなければ守り継げない。ならば変わりゆく時代を見据え、自分がやるべきことに力を尽くす。小林はたえず10年先の目標を決め、メイクアップアーティストとして描く夢もすべて実現してきた。

今、仕事で悩む女性たちに何かアドバイスをと頼むと、こう答えてくれた。

「人と比べないことと『自分の芯』を持つことです。誰でも経験の積み重ねがあり、そこから学んだ知恵が自分の芯になっています。何事も迷ったときには、自分の芯に聞いてごらんなさい」

本当に信じられるものはいつも、自分の中にある。「だから、心配しなくていいのよ」。そう背中を押してくれる小林の笑顔はやはりはつらつと輝いて、美しい。

歌代 幸子(うたしろ・ゆきこ)
ノンフィクションライター

1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。