自分基準か他人基準か

「見栄はコストなり」と言われるとおり、他人に良く思われようとすると、際限なくお金が出て行くことになります。見栄にお金を払う人は、経験よりも「モノ」にお金を使う傾向があります。経験は他人には見えませんが、モノは他人から見えるからです。

会社が見栄を張ると、立派なオフィスに入居し、立派な会社案内や封筒が出来上がります。しかしオフィスは基本的に収入を生まないし、会社案内や封筒も同じ。こうして見た目に大金を使い、不況期に苦しくなり、撤退もしくは廃業した会社を私はたくさん見てきました。

これは個人も同じです。立派な自宅や高級車を買い、流行の洋服やブランド品を頻繁に買い換える。しかしやはりこれらも収入を生むのではなく、ただお金が垂れ流されるだけ。かくして収入が減った時には苦しくなる……。

「安っぽいと思われたくない」「お金がないと思われたくない」と感じたとしても、そう思われていったい何が困るのか。あなたが視線を気にする相手は、本当に見栄を張る価値がある人たちなのか。あなたの周囲の人に見栄を張ることで、あなたにとって何か良い変化や影響が得られるのか。

他人の目を意識してお金を使うということは、他人の目を意識した人生を送っているということ。それはつまり、自分の基準ではなく他人の基準で生きているということです。見栄を張らないと関係を維持できない相手なのでしょうか? だとしたら、それはあなたの成功や幸福には何ら貢献しないはずの人なのに。

住んでいる家、持っているモノ、子どもの服や学校にいたるまで、本当に自分が価値を認めたものなのか、あるいは他人の目を意識したものかを峻別し、自分の価値判断基準を尊重する心の強さを持つことは、精神的自由への第一歩だと私は考えています。

午堂 登紀雄(ごどう・ときお)
米国公認会計士

1971年岡山県生まれ。中央大学経済学部卒業後、会計事務所、コンビニエンスストアチェーンを経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。IT・情報通信・流通業などの経営戦略立案および企業変革プロジェクトに従事。本業のかたわら不動産投資を開始、独立後に株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズ、株式会社エデュビジョンを設立し、不動産投資コンサルティング事業、ビジネスマッチング事業、教育事業などを手掛ける。現在は起業家、個人投資家、ビジネス書作家、講演家として活動している。著書に『33歳で資産3億円をつくった私の方法』(三笠書房)、『決定版 年収1億を稼ぐ人、年収300万で終わる人』(Gakken)、『「いい人」をやめれば人生はうまくいく』(日本実業出版社)、『お金の才能』『お金の壁の乗り越え方 50歳から人生を大逆転させる』(かんき出版)など。