東アジア諸国では「家では気が緩む」
ところが、生産性について感じていることの細かな部分を見ていくと、「働く」ということに対する文化的な感覚差を感じずにはいられない。
各国で過半数の人々が「生産性が上がった」と回答しているが、東アジア諸国(日本、中国、韓国)においては、「生産性が落ちた」とする人が相対的に多い。他方で、ドイツ、イタリア、スウェーデンなどの大陸欧州国ではその比率が小さく、これはそれぞれの社会が持つ傾向が集団主義か個人主義かであったり、もともとワークコミュニケーション(プライベートなコミュニケーションとは別である)が対面の会話によるウェットな文化であるか、それとも文書ベースのドライな契約書文化であるかといった違いが、大いに作用していると思われる。
また、人々が「生産性」とする中には「働きがい」も含まれているわけで、特にそれは労働心理的な質問項目への回答に現れている。アジア3か国では「自宅では周囲からの目がなく気が緩む」「自宅ではメリハリがつかず業務時間が長くなりがち」という回答比率が高く、欧米諸国とのコントラストが明確に出ている(例外的に、欧米諸国ながらイタリアも自宅で気が緩む人が多いとの結果だが、それはイタリアの国民性か)。
日本人の働きがいが低下する深い理由
アジアの農耕型集団主義社会では、労働とは集団の合議で行うものであるとの習慣が根強く、労働者が集まる空間が「いま、自分は働いている」との意識を生んできた部分もあるのだろうか。また、個人で判断し業務を前に進めるための権限委譲が不十分で、いちいち上司に確認したりチームに根回ししたりといったことが必要になるような、意思決定プロセスのムダもあるかもしれない。
日本人の場合は、働きがいを純粋に「未決の仕事を既決にすること」や「達成すること」に感じるというよりも、集団との密でツーカーなコミュニケーションや「誰かに必要とされること」の中に感じるというもともとの傾向が、テレワーク生活において「生産性が下がっている」「労働意欲が下がっている」と感じさせ、会社員たちを迷子にさせているのではないかと思う。