疫病による革命
コロナ禍を生き延びる方策として、現代人はリモート社会へのシフトを選んだ。「うちにいよう」。これまでいろいろな人が大声で「ワークライフバランスだ!」「滞社時間の長さに働きがいを求めるな!」「生き方を考えなおそう!」なんて言い続けていたのは何だったのかと思うくらい、圧倒的に速く、広く、深く、人類史に残る規模の社会変革があっさりと起きたわけだ。
オフィス街はガラガラ。在宅勤務へのシフトで脱都心、脱大規模オフィスのトレンドが起き、バックオフィス機能を収容していただけといったようなテナントは、固定費削減の好機とばかりに逃げていく。IT業界のリモートシフトは顕著で、2020年の米国西海岸ではFacebookが「現状、リモートで働けている従業員は今後もテレワークを認める」とし、日本でも富士通がオフィス面積5割減に加えて通勤定期代の支給を廃止するという全社的なテレワークシフト方針を発表して、人々は「これがニューノーマル(新しい生活様式)か……」と噛み締めた。みんなおうちでWFH(ワーク・フロム・ホーム)、これはもはや疫病による革命である。
ハード面よりメンタル面が追い付かない
だが社会の変化の速度に、当の人間がついていけていない。そりゃそうである。これまでたとえば何十年もの間、片道1時間の「痛勤」生活を毎朝晩続けていた人にとっては、初めのうちこそ「通勤って当たり前のことだと思っていたけど、辛かったんだなぁ。在宅勤務ってのも体がラクでいいもんだな、助かる」なんて喜んだものの、自宅で働くということに慣れていないため仕事とプライベートの切り替えができず、延々と働いてしまうとか、生産性が上がらないとか、運動量が足りないとか、家族との関係が……とか、いろいろな悩みも噴き出しているようだ。
在宅勤務生活をサバイブするライフハックが、2020年春夏頃は「ホームオフィス空間の作り方」とか「オンライン会議で映えるコツ」「自宅でエクササイズ」のような設備の話だったのが、秋冬以降は「生産性(やる気)を上げるには」「夫の在宅勤務にイラつく妻は何に怒っているのか」「鬱々とした気持ちを克服するには」など、メンタルの話になってきているのが興味深い。自宅時間が増えたが孤独な心を癒すため、ペットを飼い出す人もいる。
朝晩、わざわざ車に乗って「通勤を再現」するアメリカ人
多くの人が、郊外の住まいから大都市へと自家用車で通勤するのが日常の光景だったアメリカでは、通勤がなくなったことによって1日の暮らしにメリハリがなくなり、労働意欲も生産性も下がってしまうとして、わざわざ始業時間前に車で都心へコーヒーを買いに行き、終業時間後に町内をじっくり散歩して「通勤を再現」する人もいるそうだ。そうやって、脳に「今から仕事だよ」「仕事終わったよ」と伝えることで、体も切り替わるのだという。
長年のルーティンがなくなるとか、これまで会えていた人々と距離を置かねばならないといった変化を乗り越えるのは、簡単なことではない。疫病の直接的な症状とは別の、「疫病社会によって生じる変化や不安が起こす心身の症状」というものも、確実に存在している。
テレワークで個人の生産性は上がったのか
そんな心身の変化と向き合いながらも、人々は引き続き、それぞれの社会の持ち場で働いている。さて、うなぎ上りの感染者数以外は様々なことが基本的に「○割減」というダウントレンドのコロナ社会において、テレワークをする個人の生産性は上がっているのだろうか、下がっているのだろうか。
野村総合研究所(NRI)が12月にリリースしたレポート「新型コロナウイルスと世界8か国におけるテレワーク利用 ~テレワークから『フレックスプレイス』制へ~」が、その答えを示してくれる。
2020年7月にNRIがグローバル規模で行なった生活者アンケートの結果から、日本、米国、英国、ドイツ、イタリア、スウェーデン、中国、韓国の8か国のテレワーク状況を抽出。すべての国でテレワーク利用率が急増しているが、中国(都市部)の75%が最も高く、日本の31%(2020年7月時点)が8か国中最も低いという現実を知らされる。これについて、同レポートは各国のロックダウン政策の厳格さとテレワーク普及率との高い相関性を指摘している。
その中で、8か国すべての過半数の人々が生産性に変化なし、もしくは上がったと回答しており、ほとんどの国で「テレワーク許容派」が「テレワーク拒絶派」より多いとの結果も興味深い。
社会のリモートシフトが始まって数カ月時点の反応ではあるが、テレワークはグローバルに歓迎されているのだ。NRIでは、「テレワーク利用者は総じて善戦している」「『テレ(遠隔)』というニュアンスは薄れ、むしろ柔軟な勤務場所が選択できる『フレックスプレイス制』という形に転身していくのではないか」、そして「テレワークのさらなる浸透が予想される」としている。
東アジア諸国では「家では気が緩む」
ところが、生産性について感じていることの細かな部分を見ていくと、「働く」ということに対する文化的な感覚差を感じずにはいられない。
各国で過半数の人々が「生産性が上がった」と回答しているが、東アジア諸国(日本、中国、韓国)においては、「生産性が落ちた」とする人が相対的に多い。他方で、ドイツ、イタリア、スウェーデンなどの大陸欧州国ではその比率が小さく、これはそれぞれの社会が持つ傾向が集団主義か個人主義かであったり、もともとワークコミュニケーション(プライベートなコミュニケーションとは別である)が対面の会話によるウェットな文化であるか、それとも文書ベースのドライな契約書文化であるかといった違いが、大いに作用していると思われる。
また、人々が「生産性」とする中には「働きがい」も含まれているわけで、特にそれは労働心理的な質問項目への回答に現れている。アジア3か国では「自宅では周囲からの目がなく気が緩む」「自宅ではメリハリがつかず業務時間が長くなりがち」という回答比率が高く、欧米諸国とのコントラストが明確に出ている(例外的に、欧米諸国ながらイタリアも自宅で気が緩む人が多いとの結果だが、それはイタリアの国民性か)。
日本人の働きがいが低下する深い理由
アジアの農耕型集団主義社会では、労働とは集団の合議で行うものであるとの習慣が根強く、労働者が集まる空間が「いま、自分は働いている」との意識を生んできた部分もあるのだろうか。また、個人で判断し業務を前に進めるための権限委譲が不十分で、いちいち上司に確認したりチームに根回ししたりといったことが必要になるような、意思決定プロセスのムダもあるかもしれない。
日本人の場合は、働きがいを純粋に「未決の仕事を既決にすること」や「達成すること」に感じるというよりも、集団との密でツーカーなコミュニケーションや「誰かに必要とされること」の中に感じるというもともとの傾向が、テレワーク生活において「生産性が下がっている」「労働意欲が下がっている」と感じさせ、会社員たちを迷子にさせているのではないかと思う。
緊急事態宣言解除で満員電車が復活
労働意識の研究などでたびたび指摘されるのは、労働はカトリックにおいて「罰」であり、プロテスタントにおいては「自己実現」であり、仏教においては「崇高な奉仕」、儒教においては「美徳」である、との根本の労働観の違いだ。
否定しがたく儒教的倫理観どっぷりの日本社会では、「働く」とは集団の中で協調しながらあなたも私も仲良く幸せに、という田植え~稲刈りのサイクルなのだ。1度目の緊急事態宣言解除後、あっという間に人々が満員の通勤電車やリアルな会議室へと戻っていったのは、集団の協調が取りづらいテレワークは「生産性が低い」「コミュニケーションがしにくい」と感じた日本人が多かったことにもよる。
日本にテレワークカルチャーが根付くかどうかは、一つは日本人が「対面でないコミュニケーションの低い温度感に慣れること」、もう一つは「密でリアルな、満足のできるコミュニケーションをオンラインで再現できる技術が安価に普及すること」にかかっているかもしれない。