たとえば、『日本書紀』には、伊勢神宮に天照大神あまてらすおおみかみまつられる経緯について述べられている。また、8世紀に聖武天皇が奈良の大仏を建立したのも疫病と関係しています。当時、天然痘の大流行によって社会は荒廃していました。その復興祈願や国家安泰への願いが、大仏建立には込められています。

このような歴史的な経緯をふまえると、むしろ文明が発達し、広範囲に及ぶ社会や国家の集合体を統合する段階で、複雑な構造をもち、超越的な存在を強調する信仰が生み出されたと考えたほうが現実に即しています。人類は宗教的な存在として出発したのではなく、非宗教的な存在として出発し、次第に宗教性を深めていった。このように考えたほうが事実に近いと考えます。

人生100年時代には死生観も大きく変容する

では、ここで視点を未来のほうに向けてみましょう。果たして宗教は、この先どのようになっていくのでしょうか。

現代の世界では、先進国を中心に宗教離れの傾向が強まっています。その背景には、平均寿命が延びたことで、人々の死生観に根本的な変化が起こったことが影響しているというのが私の考えです。

これまでの宗教は、寿命が短くいつまで生きられるかわからないから、とりあえず死ぬまで生きようという死生観にもとづいて生み出されてきました。現世は苦しい生活が続く世界であり、そうした世界に生きている人間は、死後によりよい世界に生まれ変わることを望みます。だから宗教にとって、来世のあり方は大きな問題となった。それは、一神教でも多神教でも変わりません。いかに幸福な来世を迎えることができるか。宗教の根本的なテーマはそこに求められたのです。

しかし日本のような先進国では、80歳、90歳まで生きることは珍しくなく、いまや人生100年時代ともいわれています。長寿社会は基本的に、現世で幸福が得られる社会です。現世で幸福に生きられるなら、来世への関心はそれだけ薄れます。だから、短命がデフォルトだった死生観で生まれた既存の宗教は、現在更新されつつある死生観にうまく対応できていません。宗教が、よりよい来世に生まれ変われることを約束し、そのための宗教的な実践の意義を説いたとしても、新たな死生観をもつ人間の関心を集めることはもう不可能といっていいでしょう。

さらに、先述したコロナ禍が長引けば、人々は集まりづらくなります。これは集団的な儀礼や祈祷きとうを求心力としてきた宗教組織にとっては大打撃です。したがって短期的にも長期的にも、先進国では宗教が衰退し、消滅する事態が進行しているのです。

もちろん世界にはまだ、平均寿命が短い地域も多いので、そういった地域では既存宗教が延命していくでしょう。しかし大勢を見れば、世界的に平均寿命が延びるのに従って、死生観も先進国型に変わっていく可能性が高い。

新しい死生観に対応するような宗教はまだ生まれていません。長い人類史のなかで、宗教はそれぞれの社会において世界観の基盤となる役割を果たしてきました。したがって宗教の衰退や消滅は、人々が世界観を喪失することでもあります。果たして新しい死生観の上に成り立つ宗教は、これから登場するでしょうか。それがいま、宗教が直面している最大の課題なのです。