「毎日泣いていたけれど嫌じゃなくなりました」とコメントも届いた

人工肛門を付けていた半年間も普通の生活を楽しもうと、お腹に装着した袋をカバーするグッズをつくり、温泉やプールに入ったり、沖縄旅行へ出かけたり。明るく前向きなブログを読んで、同じ悩みを抱える人から、「毎日泣いていたけれど嫌じゃなくなりました」とコメントも届いた。

それでも私は働き続ける

ブログファンから依頼された復帰第1号の撮影では、カメラバッグを担いで名古屋出張をこなし、さらに短大の非常勤講師の職も舞い込んだ。木口さんはがん関連のボランティア活動にも参加するようになり、医療系の取材や講演などの仕事も徐々に増えていった。かつて勤めた出版社は自分の働き方に疑問を感じて辞めたが、病気を経て、仕事への意欲が変わったという。

「もともと写真を始めたのは、私は見ることができても、ほかの人は経験できない世界を伝えたいという思いがあったから。ただ実際にどうやっていいのかずっとわからないままでした。けれど、がん関係の仕事をするようになって、本当にやりたかったことに気づいたんです。悩んでいる人の役に立つこと、つらい思いの中でもちょっと楽になれること。私はそういうものを届けたいんだと」

療養中は多くの人たちに支えられてきた。そこで患者や家族・友人、医療従事者たちの思いを伝えたいと、写真とストーリーを募集し、病院スタッフと協力して写真展を開催。寄せられた作品を展示すると、それを見た別の患者から「すごく温かい気持ちになった」と喜ばれ、出展した人にも「がんになって初めて良かったと思えた」と言われた。

患者は助けてもらう弱い存在と思われがちだが、「誰もが人に力を与えることができる」と気づいた木口さんは、「がんフォト*がんストーリー」というウェブサイトを設立する。世の中の「がん」のイメージを変えていきたいという願いがあった。

自身もフリーの身では明日への不安もさぞかし大きかったと思うが、いかに乗り越えてきたのだろうか。

「私は打たれ弱いというか、実はとても繊細で傷つきやすい。不安や恐怖を回避するためよろいに身を固める人もいるけれど、もっと強い衝撃を受けたら壊されてしまう。私は弱い人間だとはっきり認めたうえで、逆に柔軟になることを選びました」

がんの治療を「闘病」ではなく「療養」と言うのは、あえて闘おうとは思わなかったから。どんな困難に直面しても、頑張って立ち向かうのではなく、自然体で受けとめる。無理せず、自分の心に従順に生きていれば、自ずとやりたい方向へ進んでいけるだろうと思えるようになった。「困難はより良い自分をつくるための素材でしかないし、その経験は絶対に無駄にはならない。すべて自分の将来か、誰かの役に立たせることができるから」と木口さん。

がんになったことで、人生に無駄なことをやっている時間はないとも気づく。だからこそ本当にやりたい仕事をやり、毎日の生活も大切にする。カメラを向けるのは、温かな人の笑顔や野に咲く愛らしい草花。生きているだけでハッピーと、語りかけてくれる気がして――。

文=歌代幸子 撮影=田子芙蓉

木口 マリ(きぐち・まり)
フリー写真家、執筆家

米国留学から帰国後、貿易商社に入社。本当にやりたいことは何かを考え写真家に転身。編集兼務の業務委託で出版社と契約。2013年、契約解除を決めた直後に子宮頸がんと診断され、フリーのまま闘病生活に。3度目の手術で人工肛門も経験。がん闘病中からブログ「ハッピーな療養生活のススメ」をスタート。退院後、大学の講師や各種講演会、自身のがんの経験をもとにがん患者や家族による「がんフォト*がんストーリー」を企画展示するなど積極的に活動。