不正出血が気になって産婦人科を受診したのは2013年1月。検査で異常はなかったが、定期的に通院することになる。同年4月、「すぐに来てください」と電話があり、覚悟して行くと、「子宮頸がん」と告げられた。紹介された大学病院では円錐切除術という患部だけを切除する15分ほどの手術で、入院は3泊4日と聞く。家族には手術日まで1人で決めてから伝え、「ちょっとワクワク初入院」だった、と振り返る。
だが、術後の病理検査で判明したのはさらに「悪い結果」だった。
「もしかして子宮を取るかもとは思っていたのですが、左右の卵巣、骨盤内のリンパ節までも取らなければいけないと。“卵巣まで取るなんて、私は女じゃなくなるの……”とショックが大きくて、しばらく何も食べられなくなってしまって」
木口さんの子宮頸がんは腫瘤を形成しない珍しいタイプで、正常に見える細胞が徐々にがん化していくため早期発見が難しいものだった。2度目の手術では子宮とその周辺まで切除することになり、不安や恐怖が募る。そんな木口さんを家族や主治医が細やかに受けとめてくれた。
「1人で頑張らなくていいんだという気持ちになれました。手術前に先生とすごく話し合って、できれば卵巣を片方残したいという希望を聞いてもらい、看護師さんにも不安な思いをきちんと聞いてもらえたので、この人たちがついていてくれたら頑張れるような気がしたんです」
完全休業で収入ゼロ。一時金でしのぐ中、新たな試練が
手術後は6回の抗がん剤治療を受けた。脱毛や倦怠感などの副作用に耐え、体力や筋力も落ちていく。仕事の再開は厳しく、実はがんが見つかる直前に出版社と契約解除していたので収入はゼロ。女性向け医療保険に入っていたため一時金で暮らしながら、治療を終えたのは11月末。
「あとは髪の毛も生えて良くなるとルンルン過ごしていたら、1カ月経たない頃にお腹に激痛が走り……」
危険を感じて救急車を呼び、大学病院へ搬送される。検査をしても原因がわからず緊急手術に。術後にICU(集中治療室)で目覚めると、傍らに来た医師から、腸閉塞の中でも重篤な症状で腸はすでに壊死して破裂寸前だったこと、しかも「人工肛門にしました」と告げられたのだ。
「その瞬間、体がベッドにずぶずぶと沈んでいく感じ、泣きたいとか嫌とかも思わない。周りの物音もすごく遠くに聞こえ、自分だけ殻の中にいるように静かでした。それからは何もかも面倒くさくなって、やさしく笑いかけてくれる看護師さんにも『ほっといてくれ』と思うばかり。誰も私に近づかないでほしいというくらい、心をぴしゃりと閉ざしてしまった感じですね」
退院後は筋力もなかなか回復せず、仕事をしていないことにも焦りを感じる。それでも自分の経験を生かせたらと始めたのがブログだった。療養中にスマホで撮った写真も交え、病気を通じて感じた思いをつづる。