ビジネス書は、いっさい読まない

【山口】数をこなすということのうちには、ビジネス上のディシジョンメイキングをずっとやってきて、死なない程度のけがというのもたくさんしてきたというのが、ビジネスの現場における競技の数かと思うのですが、ビジネスって人が関わっているし、世の中が関わっているので、とくに松本さんみたいに、マーケットに関わる仕事をやっていて、世の中の人たちがどちらに動くかみたいな、ある種の読みみたいなものもありますよね。ですから、もう少し広い意味で捉えると、たとえば松本さんがご本のなかで、いろいろな人に会ってみるのが大事だということもおっしゃられていて。これは、人間を知るということだと思うんです。あることが起こったときに、人間ってどういう反応をして、あるいは世の中で、もっとトータルに見てみると、世の中どういう反応をするかと。そうすると、いろいろな人を見ているとか、いろいろな映画とか、文学とか、そういったものを通じて、ある種の人の性(さが)というんでしょうか。そこを集合的に知っているかどうかというのは、ある程度金融の中でマーケットがどう動くかとか、あるいはビジネスパートナーがどういう反応をするかみたいなところの読みにつながるのかなとも思ったんですけど。リベラルアーツの究極ってそういうものだと思うんですね。ある意味で、帝王学ってそういう学問ですよね。

【松本】個人的には私もそう思います。なので、私はビジネス書って、いっさい読まないんです。一生の間に読んだビジネス書って、たぶん2冊くらい。

【山口】それは類いまれに少ないですね。私もそうとう少ないほうだと思いますけど(笑)。

【松本】小説は読むんですよ。小説のほうが普遍的で、人の気持ちというのが、登場人物がいて、なんかもめ事があってどうこうという、これはもう人間の心理なので。小説のほうが、これはすごくユニバーサルな感じがあり。そっちのほうがまだ応用が利くというか、いろいろなビジネスとかマーケットの局面局面に、気付きを与えてくれるというか。

【山口】アプリカブル(応用可能)な感じが。

【松本】ビジネス書はもうスペシフィック(具体的)で、このときこの場ではこれができたというだけなので、ほとんど意味がない。なので、小説のほうが好きなんですよね。でも、もうひとつ思うんですけど、いまは自分で経験をしなくても、新聞を読んだり、ニュースを読んだりしていると、いろいろなことが起きているではないですか。それで、その主体となる人が、いろいろな手を打つわけです。謝ったり、謝らなかったり、謝り方もいろいろあったり、ある判断をして会社を売ったり、売らなかったりとか。そういうのを全部見て、それに対してオーディエンスが批判したり、褒めたり、すごい炎上したり、いろいろある。そういうのを、ただ単に眺めて見ているか、自分だったらどうするかなというふうに、空想して、自分ならこうしたんじゃないかなとか、それでどういう反応があったかなというのを、仮想空間で、疑似体験をいくらでもできる。

【山口】松本さんの場合は、そこが量の関数になってきているわけですね。

【松本】しかもそれは小さいことから、アメリカ大統領のやることまで含めて、あらゆるサイズで疑似体験が、疑似トレーニングが可能なので、やろうと思うといろいろなことができると思うんですけどね。経験をすることについていえば。

【山口】ここまでお聞きしていて、若い頃は詩から入ったというお話だったんですけども、小説も若いときからずっと読まれていらっしゃった?

【松本】小説は、長いからあんまり読まなかったんですけど、なんか読まなきゃと思って。

【山口】大学を卒業して、松本さんみたいに寝られないくらい忙しいキャリアになると、もう小説どころじゃなくなる方がほとんどですよね。僕も外資系のコンサルティング業界が長かったので、見ていると、いちばん小説を読んでいない業界の人だと思うんですよ。外資系コンサルティング会社と投資銀行の人たちというのは。でも逆にいうと、なんとか時間をつくってでも、やっぱり小説は読まないとならないわけで。差し支えなければ、ご自分の中に残っている作品は、どのあたりですか?

【松本】これ、変なんですよ。坂口安吾が大好きで(笑)。朔太郎と安吾というと、よほどの不良じゃないかという感じなんですけど。

【山口】あえて言語化すると、どのあたりに引かれるんですか?

【松本】うそがない感じがして。レアな、生の自分の苦しみみたいなものが書いてあるので、読むほうからすると、苦しいのは自分だけじゃないんだみたいな感じで。気持ちいいとも違う、なんかいいんですよ。

【山口】共感すると。

【松本】どうしようもなく書いていて、どうしようもなく生きていて、朔太郎の詩も、どうしようもなく出てきたという。朔太郎は、自分でも、自分で書いた詩とは何かみたいなことも書いていて、詩を書くことが大切なんじゃなくて、詩的な人生を送ることが大切であると。そういうのが、朔太郎とか、安吾とか、歌だったら忌野清志郎だったりするんですけど(笑)。