権力者が欲望を持つのは健全な考え方

では人類の経済史に、具体的にどういう欲望のドラマが繰り広げられているか、見ていきましょう。図表1の年表を見ると、最初の経済学は「封建制」となっています。これは農民から年貢をとるシステムですが、そう考えるとこの時代は、領主という権力者が農民から年貢をとることで欲望を満たすことが経済学だったのです。

そしてその後の「重商主義」の時代には、絶対君主が東インド会社にだけ貿易の特別許可を与え、そこだけ儲けさせた上で、後からがっぽり利益を吸い取り、欲望を満たしました。でも、この君主の欲望のおかげで、この時代には商業が非常に栄えました。

そしてその後の「産業革命」の時代。この時代には、革命で倒された王の後を受け、資本家が社会の主役になります。そして彼らが欲望を満たすため、自分たちの得意のフィールドである競争社会をつくり上げていきます。もちろんこの時代には、生産力が飛躍的に高まりました。

こうして見ると、その時どきの権力者が欲望を満たすことで、社会が着実に発展していることがわかります。そう考えると、権力者の欲望には、社会の発展に貢献する健全な側面もあるのだと言えそうです。逆に権力者がまったく無欲な国があるならば、その国はおそらく滅んでしまうでしょう。

バブルを食い止めるのは無理

ただしその欲望のせいで、残念ながら負の歴史が繰り返されてしまうこともあります。バブルの歴史など、まさにそれです。バブルはオランダのチューリップバブルに始まり、フランス、英国、日本と、その都度みんな気持ちよく踊り、例外なく奈落の底に堕ちていきました。にもかかわらず、私たち人類は、この忌々しいバブルの歴史を、懲りることなく何度も繰り返しています。

ただし、どう踊り、どう堕ちるかがわかっているなら、どう活かすかもやりようがあるはずです。つまりバブルが起こっている時、それが必ず堕ちることを想定して、先回りしてうまく儲ける道を考えるほうが、実際的なビジネスには役立つものになるでしょう。