「学校の意味」とは何なのか
学校に行かなくても知識が得られるとすれば、「学校の意味」は何なのか。それが問い直されているように思います。勉強の部分はテクノロジーで代替できても、先生や友達と集い、語り合い、一緒に遊ぶというのはオンラインではできません。学校が提供する普遍的な価値の一つは、そこにあるのではないでしょうか。
そしてもう一つの価値は、「読み・書き・そろばん」に代表される基礎能力を習得する機会を提供することです。
国の教育は、税金を使い、国民全員を対象として「ここまでの力を習得する機会を一律に保障する」という「保障教育」とも呼べるものだと思います。こうした保障教育を民間企業で担うのは無理ですし、特性に合いません。
学校教育の限界
ただ、これからの時代はそれだけでは足りません。20世紀は、「いい学校」「いい会社」に入ることに集中すればよかったのですが、21世紀は、どの学校、どの会社に入れば幸せになるかわからない時代です。世間が言う「いい」学校、「いい」会社に行くことだけが幸せではないということに、みんなが気付き始めています。
それぞれが好きなことを見つけて、個性を見つけて伸ばし、好きな仕事や自分の人生を自分で創造する。親は子どもに、そうした人生を歩んでほしいと考え始めています。
ではそんな時代に、どのような教育が適しているでしょうか。