「産まなきゃ」と思わされ、負担を強いられる女性

――「生命式」のあと、男女がそこかしこで“受精”して子供を産むことが奨励され、産んだ子供はすぐセンターに預けてOKという設定も衝撃的でした。

村田:実は生殖というテーマについては、そんなに意識していませんでした。私は未婚で子供もいませんが、同世代の女性の中には親から「とにかく産んで任務を果たさなければ」「血を引き継げ」と言われている人もいて、結構しんどそうだったんです。私は「産まなきゃいけない」とは全く思っていないのですが、「みんな『産まなきゃ』と思わされているのではないか?」という疑問は持っていたのかもしれないですね。

村田沙耶香『生命式』(河出書房新社)

――私も子供が欲しいと思ったこともないのですが、少子化のニュースなどを見ると少なからず「世の中に子供を提供できず、すみません」という気持ちにはなります。

村田:結婚した友達に「結婚願望あったんだね」と聞いたら、「あったのか分からないけど、『結婚しない』という強い意志があるわけでもなかった」と言っていたんです。そのあと痛い思いをしながら妊活もがんばっていたので、子供が欲しかったのかなと思ったら、「それもよく分からないけれど、『欲しくない』という強い意志があるわけでもないし、まわりもみんな作っているから」と言うんです。でも、一番負担がかかっているのは彼女。「男の人も産めればいいのになぁ」と思って、その後、男性にも子宮が付いてしまう話を書いたりしました。

「正義」は快楽。集団心理の怖さ

――生命式』に収録された作品は、世の中の常識に主人公が抗っている設定のものが多かったと思います。何かと「正しさ」を他人に求めてくる最近の世の中の空気へのカウンター的な意図もあったのかなと思ったのですが、いかがでしょうか?

村田:書く時はまったくコントロールせず「小説自体が発酵する」感じというか、長年感じてきた疑問から自然に出てくるものに任せて書いていきます。

「正しさ」ということには、ずっと疑問がありました。「正義」ってすごい快楽だから、怖いと思ってるのかもしれません。

子供の頃、異常に盛り上がる学級会の集団心理みたいなものを怖いと思っていました。たとえば「ビックリマンチョコ」を学校に持ってきた男子が槍玉やりだまに上がって、泣くまで責められて、なぜかみんな号泣している。でも家に帰ると「何だったんだろう。ビックリマンチョコなんて、たいしたことじゃないのに」と気付くんです。

インターネットを見ていても、「正義」を振りかざして、誰かの実名を挙げてバッシングして、永遠に続く地獄の学級会みたいに異常に盛り上がっているのを見ると、すごく怖いと思います。

何かを正しいと信じている時より、「正しさや正義って何だろう?」「残酷って何だろう?」と分からなくなりながら書いている自分のほうが、まだ信頼できる気がしているのだと思います。