「断捨離」という言葉で追いつめない

「あなたが死んだら、(今家にあるモノは)全部ゴミだよ!」

俳優の高橋英樹さんの断捨離が話題になったことがありました。なんと33トンもの家財を一気に手放したというのですから、すごいというか立派というか……。しかし、この量よりも驚いたのが、高橋さんが断捨離に踏み切ったきっかけです。冒頭のような過激な言葉を、娘の真麻さんにぶつけられたというのです。

でも、「それで目が覚めた」というのですから、高橋親子の仲の良さがうかがい知れるエピソードですよね。

しかし、一般の人が、久しぶりに帰ってきた実家でこんなことを言ったら、ほとんどの家で親子喧嘩が始まるでしょう。お父さんが元気なら「出て行け!」と言われるかもしれませんし、思い出を大切にしているお母さんなら泣き出してしまうかもしれません。

そもそも、ここ10年ほどで定年を迎えた団塊の世代というのは、モノを大切にする時代と消費が美徳だった時代の両方を生きてきたため、モノを捨てるという行為が苦手です。しかも、長く生きていれば思い出の品や捨てられないモノもどんどん増えてきますから、それを「捨てろ」とか「お父さんたちも断捨離した方がいいんじゃない」と言われても、高橋さんのように簡単に頷ける人の方が少ないと思います。

とはいうものの、モノがあふれていると怪我の原因になったり、健康に悪い影響が及ぶことはすでに話した通りですから、なんとかして減らさなければなりません。

なかには「いくら言っても聞いてくれないから、勝手に捨ててしまうことにしている。本人はあることすら覚えていないんだから、まったく問題なし」という強硬派の子どももいるようですが、これは絶対にいけません。

端から見ればガラクタでも、「これは、この家に嫁いで来る前に実家の母がくれたもので、私の宝物」という類のモノは珍しくありませんし、人によっては、ガラクタのなかにへそくりや通帳を隠していることもありますから、後でとんでもない親子トラブルに発展する場合もあります。

さほど重要なモノでなかったとしても、「たしか、アレがここら辺にあったはずなのだが」と探して見つからないと、「また物忘れが進行したようだ」と思い込んで、気分の落ち込みやうつの原因になることもあります。

「親しき仲にも礼儀あり」という通り、たとえ親子でも無断でモノを捨てるのは無礼と考えましょう。

片づけをどう切り出すか

では、どのようにアプローチをすればいいでしょうか。参考になるのが「オッカムの剃刀かみそり」という考え方です。これは、14世紀の哲学者オッカムが提唱したもので、簡単に言ってしまうと、「物事を解決する際には、最も単純な方法がふさわしい」という考え方です。

つまり、親の家を片づけたいときにも、手練手管を使って説明する必要はなく、「散らかっていると、転倒の原因になってそのまま寝たきりや認知症になってしまう可能性が高いから、少しモノを整理させてほしい」「モノが多いと掃除が行き届かなくなりがちで、ホコリが原因で健康によくないでしょう。だから、少しだけ片づけさせてほしい」とストレートに言えばいいのです。

好き好んで骨折したり、健康を害したいと思う人はいないはずです。ましてや、健康に不安を抱えているシニア世代ならなおさらでしょう。だから、ここをクローズアップして片づけの重要性を訴えるわけです。

ただし、「捨てる」とか「断捨離」という言葉は禁句にした方がよさそうです。なぜならシニア世代は、どちらの言葉を聞いても「もったいない」「できるわけがない」という感情が湧き出てくるものだからです。だから、「片づける」とか「整理する」と言い換えて説得するようにします。

もちろん、そう言われた本人たちだって「最終的には捨てる」とわかっているわけですが、このような言い換えによって自分自身も納得できるのです。