モノが多く散らかった実家をどうするか。頭を悩ませている人も多いのではないでしょうか。年末に向けて「断捨離」に取り組みたいところ。けれど精神科医の保坂隆さんは、「捨てる」「断捨離」という言葉はタブーと言います。その理由とは?

※本稿は保坂隆『精神科医が教える親のトリセツ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集しました。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/kumikomini)

モノがあふれるシニアの家

ニュースやワイドショーなどで「ゴミ屋敷」が話題に上るようになったのは、十数年ほど前のことでしょうか。室内だけではなく、玄関の外にまで、ときには道路にまでゴミの入った袋や家電製品、段ボールなどがあふれているすさまじい光景を、誰でも一度くらいは目にしたことがあるはずです。

テレビ関係者に聞いたところ、ゴミ屋敷の住人に話を聞いたり、片づける様子をドキュメンタリー風にした番組はけっこう視聴率がとれるそうです。それはおそらく「他人事」だからだと思います。まさか、自分の実家があんな状態になっているとは誰も思いませんから……。

しかし、ゴミ屋敷とまではいかないものの、シニアの家の中にモノがあふれているのは決して珍しいことではありません。私の知人も、久しぶりに実家へ帰ってドアを開けたとたんに、「うそでしょ、泥棒にでも入られたの!」と叫んでしまったそうです。なぜなら、玄関も廊下も階段も、足の踏み場がないほどさまざまなモノが置かれていたからです。

歳をとると、なぜ片づけられなくなるか

実家に収納スペースが不足しているわけではありません。家は4DKの一戸建てで、かつては夫婦と娘2人の4人暮らしでした。娘が2人とも結婚して家を出て、数年前に父親に先立たれてからは、母親がひとりで暮らしていましたから、押し入れやクローゼットは使い切れないほどあったはず。それにもかかわらず、足の踏み場もない状態だったのです。この娘さんは思わずお母さんを「なにやってるの! この家を残してくれたお父さんやご近所に恥ずかしいと思わないの?」と、怒鳴りつけてしまったそうです。

するとお母さんは悲しそうな顔で、「ごめんね。そのとおりだよ。本当に、お父さんには申し訳ないと思っている。でもね、お母さん、どこから片づけていいかわからないのよ」と答えたそうです。

歳をとると誰でも、物事を計画的に進めるのが苦手になります。また、もったいないという気持ちが強くなる傾向もみられます。さらに、集中力も若い時ほど持続できないため、一度散らかり始めると片づけが間に合わなくなり、どんどんひどくなっていってしまうのです。

自宅をゴミ屋敷にしてしまう人のなかには強迫性障害(OCD)という心の病を患っている人もいますから、ただ叱りつけても解決にはつながりません。

片づけを親まかせにしない

部屋の中が片づいていないと、怪我をする確率が高くなることがわかっています。高齢になってから骨折をすると、そのまま寝たきりになるケースも多く、しかも認知症の発症リスクも高くなるため、なんとか片づけてもらいたいものです。

しかし、いくら本人に言っても「できないものはできない」のです。そのまま放置すれば、どんどん酷くなる一方で、やがてはテレビなどで取り上げられるゴミ屋敷になってしまうでしょう。

そうなれば怪我だけではなく、埃やカビなどによる健康上のリスクも高くなりますから、口を出すよりも先に手を出すことが大切です。つまり、片づけを親まかせにするのではなく、子どもたちや孫たちが一緒に片づけたり、プロの力を借りたりして元の状態を取り戻すことです。

たとえきれいにしたところで、片づける能力が衰えているわけですから、時間がたてばまた少しずつ散らかっていくでしょう。それならそれで、定期的に顔を出して片づけの手伝いをすればいいだけです。

こうすると、疎遠になりがちの親とのコミュニケーションも図れますから、「たまに片づけるのもいいものだ」と考えるようにしてください。

そもそも、なぜ家が散らかるのか

問題の解決には、原因をしっかり理解することがとても大切です。それは、実家を片づける際にも言えるでしょう。ではなぜ、シニアの家は散らかってしまうのでしょうか。

当たり前のようですが、それは持っているモノが多すぎるために起きるのです。私は若い頃にアメリカの大学へ留学していましたが、そのときを思い返してみると、アメリカの人たちに比べると、日本人はとても多くのモノを持っていると思います。アメリカだけではなく、どの国と比べても負けないのではないでしょうか。

たとえばカトラリーにしても、スプーンにフォークにナイフ(それも、各種の大きさ)など洋食向けから、中華料理向けのれんげ、そして毎日使うお箸があります。器も和洋中の3種類を備えている家がほとんどだと思います。もしこれを、日本料理向けの物だけにしたら、キッチンのモノはずいぶんと減るはずです。

また、日本人は「○○専用」というモノが大好きなのも原因となっています。たとえば、ハサミ。どこの家にもキッチン用、布を断つ手芸用、工作用、子ども用、散髪用、まゆげ用など、さまざまな種類のハサミがあちこちにあると思います。衛生面の問題はありますが、海外では1~2種類のハサミをこれらの用途すべてに使うのが一般的ですから、そのぶんモノが少なくなるわけです。

さらに、日本の家庭には飾り物も多いですね。私の友人の家には、こけしや人形、観光地の地名の入った置物、記念品の大きな置時計、ドライフラワーなどがあちこちに並べられていました。おそらく、いただいたものを捨てられずに飾っていたのでしょう。こうした景色は、欧米の家ではあまりみられません。

100円ショップの台頭も1つの原因

そしてもうひとつ。いわゆる「100円ショップ」の台頭も、モノを増やす原因になっているようです。

100円ショップへ行くと「えっ、こんなものも100円で買えるの?」と驚かされるモノがたくさん並んでいます。そのため、「必要ないかもしれないけど、あると便利かも」「たしか、あったはずだけど、念のため買っておこう」という軽い理由でモノを買いがちです。こうして、どんどん小物が増えていくというわけです。

ちなみに、日本で100円で売られている商品を海外へ持って行き紹介するというテレビ番組があります。つまり、海外には「100円ショップ」がないということで、海外の人の多くは「日本にはこんなに便利なものがあるの!」と驚きます。とてもありがたいお店なのですが、片づけを考えると、悩ましい存在ともいえます。

家の中にモノが多い理由をいくつか紹介しましたが、ここまででも解決策が見えてくると思います。たとえば、食器を仕分けする――たくさん食器を持っている人でも、お気に入りの食器やよく使う食器というのは限られてくるもの。そのシリーズ以外は手放すことを、親に提案してみましょう。

するとおそらく、「お客さんに食事をお出しするときに困る」と反対すると思います。そうしたら、「近所のレストランへ行けばいいのでは。そうすれば、片づけの手間も省けるでしょう」と言ってあげましょう。どんなに料理好きな人でも、片づけはたいへん。それをしなくてすむなら……と、思い直してくれるかもしれません。

また、使い方が限られる専門的な用品も減らせばいいですし、いただきもののお土産も片づけましょう。とくに、いただきもののお土産は、自分の思い出がつまっているわけではないので、比較的簡単に吹っ切れるはずです。

そしてもうひとつ、100円ショップで無駄な買い物をしないようお願いしておくこと。「ない」と思って買ってきたら見つかった、というなら、どちらかを処分するように言いましょう。処分を渋るときには「100円だから、またすぐに買えるでしょう」と言えば、納得してくれると思います。

「断捨離」という言葉で追いつめない

「あなたが死んだら、(今家にあるモノは)全部ゴミだよ!」

俳優の高橋英樹さんの断捨離が話題になったことがありました。なんと33トンもの家財を一気に手放したというのですから、すごいというか立派というか……。しかし、この量よりも驚いたのが、高橋さんが断捨離に踏み切ったきっかけです。冒頭のような過激な言葉を、娘の真麻さんにぶつけられたというのです。

でも、「それで目が覚めた」というのですから、高橋親子の仲の良さがうかがい知れるエピソードですよね。

しかし、一般の人が、久しぶりに帰ってきた実家でこんなことを言ったら、ほとんどの家で親子喧嘩が始まるでしょう。お父さんが元気なら「出て行け!」と言われるかもしれませんし、思い出を大切にしているお母さんなら泣き出してしまうかもしれません。

そもそも、ここ10年ほどで定年を迎えた団塊の世代というのは、モノを大切にする時代と消費が美徳だった時代の両方を生きてきたため、モノを捨てるという行為が苦手です。しかも、長く生きていれば思い出の品や捨てられないモノもどんどん増えてきますから、それを「捨てろ」とか「お父さんたちも断捨離した方がいいんじゃない」と言われても、高橋さんのように簡単に頷ける人の方が少ないと思います。

とはいうものの、モノがあふれていると怪我の原因になったり、健康に悪い影響が及ぶことはすでに話した通りですから、なんとかして減らさなければなりません。

なかには「いくら言っても聞いてくれないから、勝手に捨ててしまうことにしている。本人はあることすら覚えていないんだから、まったく問題なし」という強硬派の子どももいるようですが、これは絶対にいけません。

端から見ればガラクタでも、「これは、この家に嫁いで来る前に実家の母がくれたもので、私の宝物」という類のモノは珍しくありませんし、人によっては、ガラクタのなかにへそくりや通帳を隠していることもありますから、後でとんでもない親子トラブルに発展する場合もあります。

さほど重要なモノでなかったとしても、「たしか、アレがここら辺にあったはずなのだが」と探して見つからないと、「また物忘れが進行したようだ」と思い込んで、気分の落ち込みやうつの原因になることもあります。

「親しき仲にも礼儀あり」という通り、たとえ親子でも無断でモノを捨てるのは無礼と考えましょう。

片づけをどう切り出すか

では、どのようにアプローチをすればいいでしょうか。参考になるのが「オッカムの剃刀かみそり」という考え方です。これは、14世紀の哲学者オッカムが提唱したもので、簡単に言ってしまうと、「物事を解決する際には、最も単純な方法がふさわしい」という考え方です。

つまり、親の家を片づけたいときにも、手練手管を使って説明する必要はなく、「散らかっていると、転倒の原因になってそのまま寝たきりや認知症になってしまう可能性が高いから、少しモノを整理させてほしい」「モノが多いと掃除が行き届かなくなりがちで、ホコリが原因で健康によくないでしょう。だから、少しだけ片づけさせてほしい」とストレートに言えばいいのです。

好き好んで骨折したり、健康を害したいと思う人はいないはずです。ましてや、健康に不安を抱えているシニア世代ならなおさらでしょう。だから、ここをクローズアップして片づけの重要性を訴えるわけです。

ただし、「捨てる」とか「断捨離」という言葉は禁句にした方がよさそうです。なぜならシニア世代は、どちらの言葉を聞いても「もったいない」「できるわけがない」という感情が湧き出てくるものだからです。だから、「片づける」とか「整理する」と言い換えて説得するようにします。

もちろん、そう言われた本人たちだって「最終的には捨てる」とわかっているわけですが、このような言い換えによって自分自身も納得できるのです。

捨てたい嫁と捨てたくない姑

「義母は、お茶の師範をやっていた関係で着物を山ほど持っているんです。春・夏・秋・冬と、季節ごとの着物を入れる大きな桐のタンスが一棹ずつ、四棹ものタンスが部屋の中に並んでいるんです。

でも3年前、80歳になったのを機に師範を引退して、お気に入りの着物以外は着なくなりました。つまりほとんどの着物がタンスの肥やしになっているということ。タンスを半分に減らすだけでも、部屋がかなり広く使えるようになるので『なんとかお願いします』と言って、義母にも了承をとっていたのですが、いざタンスを開け始めると、『これは大島紬だから……』『この帯は手描きなのよね』などと、ひとつも処分したがらないんです。

『このままタンスに入れて保管しておいても、虫に食われたり変色するだけだから、減らしましょうよ』と言っても、『注意して保管しておけば大丈夫』の一点張り。

『少なくとも3年は着ていないじゃないですか』と言っても『これからはどんどん着るわ』『あなたも着てみたらいいじゃない』と譲らないんです。

『私は着物を着ないから、無用の長物なんですが、なんとかならないでしょうか』

ある女性が、こんなふうにこぼしていました。お茶の師範をやられていたということなので、おそらくどの着物も高価なものなのだと思います。それを捨てたくないというお義母さんの気持ちはよくわかります。しかし一方で、お嫁さんの「無用の長物だから処分したい」という気持ちもわからないではありません。

このように、価値観の違いで「捨てたい」「捨てたくない」という気持ちが衝突することは、親子関係でよくあることです。でも、衝突したままでは何の解決にもなりませんね。

こんなときに大切なのは、相手の価値観を受け入れることです。今回のケースのように「着物なんて無用の長物」などと言えば、お義母さんはますます頑なになってしまうでしょう。

着物を気分よく手放させる方法

ではどうすればいいのでしょうか。このような場合、私は「メルカリ」や「ヤフーオークション」などの個人売買サイトを利用してみてはどうかと提案することにしています。まずは「価値をわかってくれる人になら譲ってもいい」という着物を義母さんに選んでもらい、それに希望の値段をつけて出してみます。

おそらく、義母さんの希望価格では売れないでしょうが、それでもいいんです。なぜなら「私の希望価格は相場より高いようだ」とお義母さん自身が理解できるためです。

こうして少しずつ値段を下げていけば、やがては買い手が付くはずです。望む金額ではないかもしれませんが、捨て値でリサイクルショップに引き取ってもらうより、ずっと気分がいいでしょう。

新しい販売方法を利用して、義母の“古い”価値観を受け入れることにもつながるわけですから、なんとも面白い時代ではありませんか。実は、この「面白い」というのはとても大切なことで、こうしてネットでの個人売買を繰り返していくと、おそらく義母も着物の売買や購入者とのやりとりが面白くなってくるはずですから、着物の数も次第に減っていくと思うのです。

片づけは思い出づくりの時間と考えてもらう

「母は3年前に亡くなりました。もちろん、いろいろな思い出がありますが、不思議なことに、いちばん印象に残っているのは、一緒に実家を片づけたときに見た母の笑顔なんです。昔を思い出しながら話す母の表情はとても穏やかで、本当に久しぶりに心が通い合ったと思える瞬間でした。もし、あの時、家の片づけをしなかったら、親子で触れ合える時間もなかったと思うので、やっておいてよかったと思います」

保坂隆『精神科医が教える親のトリセツ』(中公新書ラクレ)

この「母」とは、亡くなった私の知人の女性のこと。久しぶりにお会いした彼女の娘さんが、こんな話を聞かせてくれたので、本来なら悲しいはずのお別れの場が、とても和んだのを覚えています。

今までにも話してきたように、家の片づけは親と一緒にすることが必須です。これは、不満や後で喧嘩になることを避けるためなのですが、一緒に片づけることによって、「大切なモノを捨てなければならない」というマイナスを、「久しぶりに思い出を語り合える機会」というプラスにすり替えることができるわけです。

モノにまつわる思い出を振り返る

「すり替える」と言ってしまうと、年老いた親を騙しているようでちょっと気が引けるかもしれませんが、たとえ親子とはいえ、時間に追われる日常生活の中で思い出話をする機会は滅多にないものです。でも、「片づける」という名目で懐かしい品々を掘り出して吟味すると、親子で昔のことを語り合うよい機会になると思うのです。前出の娘さんも次のような昔話を聞かせてくれました。

「これ覚えてる? ほら、私の小学校の入学式のとき、お姉ちゃんと色違いで買ってもらったバッグよ。でも、私はお姉ちゃんのピンクのバッグが欲しくって、じゃんけんして取り合ったんだよね。結局、お姉ちゃんにピンクを奪い返されて、悔しくて泣いちゃったのよね」
「本当にあんたたちよく喧嘩してたわね。お揃いの服を買ってきても必ず取り合いになって。歳が近いせいか、姉妹というよりライバルって感じだったわね」
「これ、私が持って帰っていいかな?」

と、笑顔でこんな会話をしたそうです。娘さんが、このバッグを後で処分したかどうかまでは聞けませんでしたが、少なくとも実家からモノを減らすことができたことだけはたしかです。

こんなふうに思い出を語り合いながら片づけを進めてみてはいかがでしょうか。