時空を超えた壮大な聖域に、時の権力者・藤原道長も参詣に訪れました。それをきっかけに、高野山は天下の霊場として名を馳せます。また、道長の娘の彰子(上東門院)が出家のために剃髪し、奥之院に髪を納めたことで、貴族や大名を中心に、納骨や建碑の風習が広まりました。
戦国時代になると、常に死と隣り合わせだった武将たちは、心のよりどころとして高野山に深い関心を寄せました。奥之院に石塔を建て、死後の安らぎを願ったのです。
奥之院に眠る戦国武将たち
戦国期〜江戸期にわたり、約200もの大名家が墓所を建立してい