老舗の蔵の存在意義を問いつつ半年、24時間共同生活で酒を醸す
「正月が来ても、年が明けた気がしないんですよ」
忙しい午前中のわずかな休憩時間、杜氏(とうじ)の藤田晶子さんは蔵人(くらびと)が集まる食堂で一息つく。酒造りの一年は9月の蔵入りに始まり、3月までの半年間、無休で蔵に泊まり込むのだ。仕込みが始まると、昼も夜も夜中も、春になるまで気が抜けない。この間、スタッフである蔵人とは、24時間ずっと寝食をともにする。
日本酒を造りたい一心で単身、老舗酒蔵に飛び込む
発酵食品に興味があり、東京農業大学の醸造科学科に入学した。授業で日本酒と出合い、醸造を学び、魅了された。卒業後はまっすぐ酒造りの道へ進もうと決心する。教授推薦で大手の酒蔵に就職する方法もあったが、規模が大きいと分業が進んでいて酒造りの全工程に関われないうえ、杜氏になるのも難しい。杜氏になって自分の酒造りがしたい、そのために比較的小規模な地方の蔵にターゲットを絞った。
「アルバイト先の地酒専門店の主人に口をきいてもらい、プロしか入れない利き酒会にも参加しました。そこで味わった農口(のぐち)尚彦杜氏のお酒がおいしくて、ここしかないと思い、蔵元と杜氏に手紙を書きました。蔵にも訪ねていって、実地で見学させてもらい、ついに就職することができました」
蔵人修業に性別は関係なし。生意気すぎて干される
念願の鹿野酒蔵(石川県)で農口杜氏に師事、蔵人として働きだした。藤田さんは紅一点だったが、蔵人たちは、親方からひとつでも多くを学ぼうと集まっている情熱のある人ばかり。力仕事も女性だからという言い訳は通用しない。作業も学ぶことも山ほどあり、休む暇のない生活でも、好きな道なのでまったく苦にならなかった。
「ただ、人間関係では苦労しました。生意気だったので、先輩とぶつかることもありました。そうすると何も教えてもらえなくなります。こちらが折れるしかない。それも修業のうちでしたね。半年、24時間みっちりの共同生活ですから、仲間に受け入れられないと、仕事になりません」
10年を経て杜氏として独立。老舗の蔵の大改革に着手
10年の修業を終え、親方の推薦で杜氏として招かれたのは和歌山の紀伊にある老舗酒造「吉村秀雄商店」だった。前任者が高齢で引退するにあたり、新しい杜氏を探していたのだ。その蔵では低コストのお酒を大量生産する設備で酒造りをしていた。