デンマーク王朝は断絶へ

マルグレーテ2世の後、フレデリック王太子が女系王として即位すると、現在のデンマークの王朝であるリュクスボー家は伝統的な男系継承という観点において、断絶します。旧来ならフレデリック王太子の父ラボルド・ド・モンペザ伯ヘンリックの家系のラボルド・ド・モンペザ朝になります。男系継承では父の家名が引き継がれるからです。しかし、国王直系の血筋が引き継がれているという観点を重視し、フレデリック王太子が即位しても、リュクスボー家の名が変えられる予定はありません。

女系継承が認められ、家名を変えない先例として、オランダのケースがあります。オランダは現国王のウィレム=アレクサンダーの前に3代に渡り、女王が続き、本来のオラニエ=ナッサウ家は実質的に断絶していますが、現在でもこの家名を名乗っています。

リュクスボー家は初代のクリスチャン9世が即位した1863年から続いています。現在のマルグレーテ2世はクリスチャン9世から数えて、5代目です。リュクスボー家は婚姻関係の相続により、ギリシア王国の王位も1863年から1973年の110年間、継承しました。

「リュクスボー」はドイツ語読みで、グリュックスブルクです。この家系はドイツ北部のシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州にある郡のグリュックスブルクを領地としていたドイツ貴族です。この家系はデンマーク王家と婚姻関係を持っていたため、19世紀に、グリュックスブルク家のクリスチャン9世がデンマーク王位を継承しました。

男女の区別のない長子継承へ

1953年の王位継承法改正では、王位継承は「男子の継承者がいない場合に限り」という条件が付けられていましたが、男女同権の観点から、2009年の王位継承法改正で、その条件が撤廃されて、男女の区別のない長子継承制に変更されました。この改正の際にも、国民投票が行われました。

他の北欧諸国では、既に長子継承制が導入されていました(1980年にスウェーデンが、1990年にノルウェー)。デンマークで、長子継承制が導入されていないのは「後進的で不条理」、男女同権という観点からも「甚だ問題がある」という批判が巻き起こっていました。

保守派からは改正への強い反対がありましたが、世論に押され、議会は改正へと動きました。1953年の法改正と2009年の法改正のいずれも、左派の社会民主党が主導したのではなく、右派の自由党(ヴェンスタ)が主導したということは特筆されるべきことです。自由党の強硬派議員はいずれの改正にも、当初、反対していましたが、結局は世論に屈しました。

国民投票の結果は、改正に賛成が85.4%で、反対が14.6%で、圧倒的多数で可決されました。法改正されたものの、マルグレーテ2世の長子のフレデリック王太子が既に王位継承者であったため、王太子に変更はありません。

国民投票の前に、マルグレーテ2世自身は改正に反対であったと伝えられていましたが、当時の首相アナス・フォー・ラスムセンは2005年、議会に改正案を提出する前に、マルグレーテ2世をはじめ王室のメンバーと話し合いをしたと証言しています。マルグレーテ2世がこの問題について、公式に発言したことはありません。

1953年に女性の王位継承が認められた時点で、長子継承制へ移行されることは遅かれ早かれ、必然でした。

写真=iStock.com