「クレドール」や「セイコー ルキア」など、同社を代表する腕時計ブランドをつくり上げてきた実力者であり、執行役員や取締役への就任も女性初。入社当時はバリバリ働く気なんてなかったのに、楽しさを追求しているうちにここまで来たという庭崎さん。けれど、夢破れてどん底まで落ち込んだ時期も──。

初めての挫折にモチベーション急降下

「入社当時は2、3年楽しく働ければいいやと思っていました。なのに長い間続けてこられたのは、その時々の仕事が本当に楽しかったから。失敗して落ち込んでも、そのたびに次の楽しみが降ってきました。私、運がいいんだと思います(笑)」

男女雇用機会均等法の第1期生として入社し、主に女性向けライセンスジュエリーを扱う宝飾部に配属。フランスのブランド「ニナリッチ」などを担当し、早くから海外出張の機会に恵まれた。当時、時計部門が本流だった服部セイコーにあって、宝飾部はいわば傍流。そのぶん男女格差や縛りも少なく、「好きにやって拡大してねという感じ」だったのが性に合ったという。

庭崎さんは、自由な雰囲気の中でのびのびと力を発揮し、やがて以前から好きだったイタリアブランドの仕入れ担当に。自分の目で選んだ商品を日本に広める仕事に、大きなやりがいを感じ始める。ところが、間もなくこのブランドの代理店権を失ってしまい、初めての挫折だったこともあってモチベーションは急降下。

異動先で受けたカルチャーショック

「あの時はつらかったですよ。このブランドを育てていこうと夢見ていたのに、幕引き作業が始まって本当に悲しかった。でも、取引先を始め周囲と話し合っているうちに、『もう一度同じことをやりたい!』と思えるようになって。新しいブランドを探しにイタリアへ向かいました」

周りに悩みを話すことで、再挑戦の意欲が湧いた。もともと受け身タイプではなく、常にやりたいことがあって、それに向けて行動していく性格。自分で決めたゴールへと突き進んでいける力は、キャリアを築く上で大きな強みになったに違いない。

この時も、さっそく次のブランドを見つけて代理店権の獲得に成功。「今度こそ」という意気込みから、モチベーションもかつてないほど高まった。しかしその矢先、社の本流であるウオッチ部門への異動辞令が下りる。担当は、高級ドレスウオッチ「クレドール」。女性が多く自由度も高かった宝飾部とは、雰囲気も仕事の進め方もまったく違っていた。

「転職したのと同じぐらいカルチャーショックを受けましたね。ウオッチ部門は完全な男社会で、時計に素人の女性の私が意見を言おうとしても、最初はなかなか耳を傾けてもらえませんでした。製造現場の職人さんたちも最初は認めてくれなくて……。自分らしさを発揮できない日々が続きました」