親が倒れれば、自分が家長になるしかない
しかし家族の長である父が倒れたその瞬間、事態は思わぬ状況に急変してしまいました。これまで家長である父にすべての決定をゆだねてきた母も妹も、この事態になって私にすべてを任せようとします。父に点滴をするか否かという判断も、本来配偶者である母がすべきですが、気が動転してそれどころではありませんでした。「祐子に」と生死を左右するかもしれぬ決定をゆだねるのも無理もない状況でした。この瞬間から私は、病院や施設の選択、実家の改修から数年後に迎える父と妹の葬儀まで、実家にかかわるほぼすべてのことを、自分で決めなくてはならなくなったのです。
自分の人生の選択なら、自己責任で済みます。しかし介護をするということは、両親や兄弟の人生にかかわる選択まで判断していくということを意味していました。それは大きな覚悟が必要なことです。
1カ月で受けた退院勧告
まひも残らず一命を取り留めた父は、救急病院の手厚い看護とリハビリで、次第に回復してきました。2週間もする頃には文字も書けるようになり、車いすも自分で動かせるようになってきました。「このままここに入院させてもらえば、父は入院前以上に元気になってくれるかもしれない」。そう思った矢先、病院の事務局から呼び出しがありました。救急病院は、1カ月以上は入院できないという退院勧告です(現在は、救急車を受け入れる病院で平均在院日数10~12日間、18日以内と、さらに短くなっています)。
「退院しろと言われても、まだ父は普通に生活できるような状態ではありません。母も高齢ですし、妹もがんを患っていたので体調も不安定です」
「いえ、これはルールですから、退院していただきます。2~3日の猶予は差し上げますので、次に行かれる病院か施設を探してください」
「次に行く施設、ですか?」
説明を聞くと、リハビリテーションをしてくれる病院に3カ月ほど入院はできるが、そこもまた3カ月で退所しなくてはならないということでした(回復期リハビリテーション病棟では病状により90日~150日、重篤な疾患の場合で最大180日入院可能)。介護や病気についての知識がなかった私は、手厚い看護の救急病院に父をずっと置いてもらえると思ってぬか喜びしていたという、お粗末な状態でした。こうしたルールはあらかじめ知っておく必要があります。