2019年4月に「働き方改革関連法」が施行されましたが、日本の女性の労働環境は、女性たちにとっては理想的とはいえません。いったいなぜ女性たちは、こんなに働きにくいのでしょうか。過去から振り返って分析してみましょう。
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昔は、女性が働くのは当たり前

少子高齢化が進む昨今、日本の労働力不足は深刻です。そこで安倍内閣が推進する「働き方改革」でも期待を寄せているのが、「女性の労働力」です。

そもそも過去の歴史を見ても、女性が働いていなかった時代なんてありません。たとえば江戸時代の日本は、共働きが当然でした。農家や職人の妻が「家業を手伝う」のは基本で、そのほかにも接客・物売り・産婆・髪結い・手習いの師匠・機織りなど、女性はさまざまな職業で活躍していました。また中世のヨーロッパを見ても、毛織物や染色、行商に加え、教会建築や鉱山労働、岩塩の採掘などの肉体労働まで、女性の働く場は至るところにありました。

しかし、その後、あるものの登場により、人々の働き方は一変します。そのあるものとは? 答えは「企業」です。かつて世界に、企業は存在しませんでした。企業は大規模化した資本主義経済のなかで発展してきた組織体で、それ以前は農家や商人、職人など「家業」中心の世界でした。両者の違い、わかりますか? 決定的な違いは「組織的に働くか否か」です。

“企業”の誕生によって働き方が一変

企業における組織的な労働――ここから人々の働き方は、劇的に変わります。日本に企業が根づき始めたのは、大正時代あたりですが、その頃からまず「サラリーマン」という新しい“職業”が生まれ、個人の意思とは無関係な「組織の論理」で働くことが求められ始めます。そのせいで労働形態と労働時間からフレキシブルさがなくなり、家業よりも安定した高収入が得られる反面、全員が家から「遠く離れた職場」に出向き、全員一律の「長時間労働」が求められました。

遠くて長時間だと、今までみたいに「仕事の合間に家事をこなす」ことはできません。この頃から「家事と仕事は分業」という意識が生まれます。加えて明治30年の高等女学校令より「良妻賢母(優秀な次世代を育てるのは母の役割)」教育が積極的に行われ、その結果、生まれてきたのが「専業主婦」という“職業”です。

この流れは、戦後の高度経済成長期に拍車がかかり「男はモーレツ社員として休日返上でバリバリ稼ぎ、女は専業主婦である対価として3号被保険者の年金をもらえる」形が定着しました。それと同時にこの頃から、社会は「女性の社会進出に対するハラスメント」に満ちた環境になっていくのです。