はじめに、初心者講習の担当僧侶である勝田岳芳(かつだがくほう)さんから「合掌は中指が鼻の高さになるように」「お辞儀は腰から曲げる」など諸作法に関するレクチャーや、「普段日常生活で、みなさんの意識は『私が』ですよね。修行とは、そんな自我を超え、『私を』仏の行いに投げ入れることです。ただ作法に身も心も任せてください」など、「坐禅の心得を学ぶ基本講習」を40分ほどみっちりと受けました。
印象に残ったのがイチロー選手の話に触れた法話。「以前テレビでイチロー選手が「試合前の極度の緊張をどう乗り越えるのか? とインタビュアーに聞かれた際、『揺れ動く心を、心で制御するのは難しい。そこで、いつもと変わらずルーティンワークをして、まず身体を調えます。一つひとつの動作をルーティン通りにこなしていくことで、心も自然と調ってくるからです』と話されているのを見て、これはまさに、身と心は一つで別物ではないという禅の考え方-“身心一如”と似ていると思いました」(勝田さん)。
「身心一如」とは、禅の考え方を端的に表したもの。心が乱れたときは、心の器である身体を調えれば、自然と呼吸が調い、心も調うそうです。
「精神修行のために坐禅をしに来た方が多いかもしれません。しかし曹洞宗では、坐禅は何かを得るための手段ではないのです。坐禅そのものが、身体と心の調った仏の姿なため、身体と呼吸を坐禅に合わせていく、ただそれだけです。それでは実際に坐ってみましょう」
いよいよ坐禅開始です。曹洞宗の坐禅は「面壁(めんぺき)」と言って壁や、障子、襖に向かって坐ります。
坐禅の組み方は二通りあり、それぞれの足を反対の腿の上に乗せる「結跏趺坐(けっかふざ)」と、どちらか片方の足を反対の腿の上に乗せる「半跏趺坐(はんかふざ)」です。私は半跏趺坐を組んでみました。さらに手を、両手の親指が軽く触れるように合わせたら(法界定印)、目は閉じずに視線を45度くらいの角度で下ろします。この状態で、背筋を伸ばした姿勢を保っていると、坐禅開始を知らせる鐘が3回鳴りました。約20分の修行の始まりです。
坐禅と言えば、落ち着いた穏やかなものというイメージでしたが、実際にやってみると、足首に来る緩やかな痺れに背中が丸まりそうになるのをどうにか耐えたり、気を抜けば、合わせている親指の指先がズレそうになるため、体の隅々まで神経を張る必要があって、何かを考えている余裕などなくなります。曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」(ただひたすら坐る)と言われるそうですが、その意味が体感できた気がしました。