職場の人間関係やプライベートの悩みに心が乱される自分を鍛えたいと、坐禅会への参加を希望する女性が増えているそうです。ただ、宗派の違いや企画のコンセプトによって、まったく形式が異なるのが坐禅会。そこで、なんとなく近場の坐禅会に参加して「坐禅ってつまらない」と思いこんでしまってはもったいないので、初めての人は、宗派や開催場所などから雰囲気をある程度想定してから参加することをオススメします。今回は、都内で形式がまったく異なる3つの坐禅体験に参加し、自分に合う「坐禅会選び」について探ってみました。2回に分けてレポートします。

はじめにご紹介するのは、慶長3年(1598年)創建の曹洞宗の古刹、大本山永平寺別院長谷寺で受けられる坐禅会です。

宗派は「曹洞宗」。「行為によって自らを仏として現していく」と考える曹洞宗では、手の合わせ方など日常の所作を始め、食事の頂き方や、顔の洗い方、お手洗いの使い方にいたるまで、日常の一つひとつの行いに「仏としての」作法があり、修行僧たちは作法に則って生活しています。坐禅会でも、そのような作法の一部が取り入れられているため、「せっかく体験するなら本格的な方がいい」という初心者におすすめです。

初心者講習40分、曹洞宗の「ただひたすら坐る禅」とは

東京・表参道駅から徒歩約10分。体験当日、賑やかにショップが立ち並ぶ通りを抜けると、自然と頭を垂れずにはいられない、存在感たっぷりの大きな門が出迎えてくれました。建物は、1945年の東京大空襲で、ご本尊と共に一度焼失しましたが、現在は、ご本尊も伽藍も再建されています。

法堂(本堂)

今回私は、毎週月曜日18時半から開催されている月曜参禅会に参加。毎週100名前後の参加者があるとのこと。坐禅会は「初心者講習」「2~5回目講習」「6回目以降の参禅」の3つのコースに分かれており、今回は、毎週20~40名ほどが集まるという「初心者講習」を体験しました。

18時に到着し、受付でお布施の100円を渡して女子更衣室へ。そこでアクセサリー、時計などの装飾品は外し、靴下も脱ぐのが決まり(ストッキングは可)です。幅広い年齢の女性が20名ほど思い思いに、ゆっくりとストレッチをして体をほぐしたり、目を閉じてリラックスしたりしていますが、ただ誰一人声を立てません。そんな様子を目にしながら着替えを終え、緊張しながら待っていると、18時半ちょうどに「移動するので、男女に分かれ、廊下に一列に並んでください」と声がかかりました。

列になって進み、到着したのは、だだっ広い和室。そこに丸いクッションのようなものが、均等な間隔で並べられています。「坐蒲(ざふ)」と呼ばれる、曹洞宗で坐禅をする際に用いる座蒲団だそうです。

正面から見て左手に男性、右手に女性が進み、向かい合うようにして座りました。目線を落とすと、やわらかな若草色の畳が美しく、毎日修行僧の方が掃除をする姿が目に浮かびます。

はじめに、初心者講習の担当僧侶である勝田岳芳(かつだがくほう)さんから「合掌は中指が鼻の高さになるように」「お辞儀は腰から曲げる」など諸作法に関するレクチャーや、「普段日常生活で、みなさんの意識は『私が』ですよね。修行とは、そんな自我を超え、『私を』仏の行いに投げ入れることです。ただ作法に身も心も任せてください」など、「坐禅の心得を学ぶ基本講習」を40分ほどみっちりと受けました。

印象に残ったのがイチロー選手の話に触れた法話。「以前テレビでイチロー選手が「試合前の極度の緊張をどう乗り越えるのか? とインタビュアーに聞かれた際、『揺れ動く心を、心で制御するのは難しい。そこで、いつもと変わらずルーティンワークをして、まず身体を調えます。一つひとつの動作をルーティン通りにこなしていくことで、心も自然と調ってくるからです』と話されているのを見て、これはまさに、身と心は一つで別物ではないという禅の考え方-“身心一如”と似ていると思いました」(勝田さん)。

「身心一如」とは、禅の考え方を端的に表したもの。心が乱れたときは、心の器である身体を調えれば、自然と呼吸が調い、心も調うそうです。

「精神修行のために坐禅をしに来た方が多いかもしれません。しかし曹洞宗では、坐禅は何かを得るための手段ではないのです。坐禅そのものが、身体と心の調った仏の姿なため、身体と呼吸を坐禅に合わせていく、ただそれだけです。それでは実際に坐ってみましょう」

いよいよ坐禅開始です。曹洞宗の坐禅は「面壁(めんぺき)」と言って壁や、障子、襖に向かって坐ります。

坐禅の組み方は二通りあり、それぞれの足を反対の腿の上に乗せる「結跏趺坐(けっかふざ)」と、どちらか片方の足を反対の腿の上に乗せる「半跏趺坐(はんかふざ)」です。私は半跏趺坐を組んでみました。さらに手を、両手の親指が軽く触れるように合わせたら(法界定印)、目は閉じずに視線を45度くらいの角度で下ろします。この状態で、背筋を伸ばした姿勢を保っていると、坐禅開始を知らせる鐘が3回鳴りました。約20分の修行の始まりです。

坐禅と言えば、落ち着いた穏やかなものというイメージでしたが、実際にやってみると、足首に来る緩やかな痺れに背中が丸まりそうになるのをどうにか耐えたり、気を抜けば、合わせている親指の指先がズレそうになるため、体の隅々まで神経を張る必要があって、何かを考えている余裕などなくなります。曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」(ただひたすら坐る)と言われるそうですが、その意味が体感できた気がしました。

また、坐禅中は、「警策(きょうさく)」と呼ばれる棒を持った僧がゆっくりと背後を巡回するのですが、自分の後ろに近づいてくる気配を感じると、緊張で頭に変な汗をかきます。「姿勢が悪い」「居眠りをしている」などの理由から、坐禅に集中出来ていないと思われたら、警策で右肩を打たれるからです。2度背後に気配を感じ、呼吸が乱れた気がしましたが、どうにか打たれずに済みました。ホッ。

再度鳴り響いた鐘の音で坐禅が終了。終わると同時に、みんな足首をもみほぐしたり、思い切り身体を伸ばしてストレッチしたり。坐禅中は、他の人の様子を見ることはできませんが、みんな同じような痺れや、緊張感と戦っていたと分かり、少し安心しました。最後に、腰から曲げるお辞儀をして体験終了です。

今回、“私が”という自我を手放すように努め、何も考えずに教えられた型をそのまま真似る20分を過ごしている間、上司のやり方を素直に真似て身に付けていた社会人1年目の頃の初心を思い出していました。仕事を続ける日々の中で、ついつい私たちは働く目的や、目の前の課題に取り組む理由を求めがちですが、週に一度くらい、仕事を離れて、ただあるがままの自分を受け入れる時間を持ってみるのもいいのではないでしょうか。

明るい時間帯の「山門」

坐禅会レポート後編では、日暮里にある「人間禅」の専門道場「澤木道場」で受けた「女性の美は坐禅から 女性だけの坐禅会」と、中目黒のビストロで受けた臨済宗の「禅Cafe」をご紹介します。お寺での厳格な坐禅会とは座禅の心得も坐禅法も全く異なりますので、楽しみにお待ちください。