海上自衛隊、初の女性護衛艦艦長に就任した大谷さん。「乗員はみな家族」という約200人の命と日本の海を守るという思いを胸に、「一度出港すると数カ月は戻れない」という艦での生活を続ける。
海上自衛隊 護衛艦「やまぎり」艦長 大谷三穂●1971年大阪府吹田市生まれ。92年防衛大学校入学。96年海上自衛隊入隊。2003年長女を出産。11年護衛艦「あさぎり」副長を経て、13年練習艦「しまゆき」艦長に着任。16年より現職。

国と乗員約200人の命を預かる艦長としての重み

大谷三穂さんが艦長として、初めて港を離れたのは2013年3月のことだ。場所は広島県の呉にある海上自衛隊基地。乗艦するのは「しまゆき」という名の練習艦だった。

「しまゆき」は排水量約3000t、遠洋での練習航海や演習などでも使用される乗員約200人の練習艦である。防衛大学校の女性1期生である彼女は、同じく1期生で練習艦「せとゆき」の艦長となった東良子さんとともに、このとき女性初の艦長に命じられた。

(上)補給艦などを除くと、大谷さんは唯一の護衛艦艦長。大谷さんを目標とする女性自衛官も増えているそう。(下)乗艦中は常に身につけている双眼鏡。それぞれの役職専用があり、艦長のものは青と赤の2色使い。

新たに任命された艦長は自らの船の性能を確かめるため、着任した日に乗組員を乗せて離岸する。

すべての準備が整ったのを確認して、大谷さんは艦橋ウイングから命令を下した。

「出港用意!」

その声を合図にラッパの音が鳴り響く。すると舫(もや)いが解かれ、艦は護岸からゆっくりと離れていった。

岸が徐々に遠ざかっていくのを見ながら、緊張が想像よりもずっと強まるのを感じた、と彼女は語る。

「洋上に出たとき、初めて『もう自分しかいないんだ』と思ったんです」

これまで副長を務めていた護衛艦「あさぎり」では、そのような緊張を感じたことは一度もなかった。何があっても最後に決めるのは艦長――という心の余裕があったからである。

しかし呉の港を出たいま、洋上でのすべての責任は自分にあった。例えば前方に避けなければならない何かが見えたとき、面舵をとるのか、それとも取り舵をとるのか。これからは乗員が彼女の顔を見て、「艦長、どうしますか?」と最後には聞くことになる。

「私が約200人の乗員の命を預かっているんだ、という責任の重さを実感した瞬間でした」