国と乗員約200人の命を預かる艦長としての重み
大谷三穂さんが艦長として、初めて港を離れたのは2013年3月のことだ。場所は広島県の呉にある海上自衛隊基地。乗艦するのは「しまゆき」という名の練習艦だった。
「しまゆき」は排水量約3000t、遠洋での練習航海や演習などでも使用される乗員約200人の練習艦である。防衛大学校の女性1期生である彼女は、同じく1期生で練習艦「せとゆき」の艦長となった東良子さんとともに、このとき女性初の艦長に命じられた。
新たに任命された艦長は自らの船の性能を確かめるため、着任した日に乗組員を乗せて離岸する。
すべての準備が整ったのを確認して、大谷さんは艦橋ウイングから命令を下した。
「出港用意!」
その声を合図にラッパの音が鳴り響く。すると舫(もや)いが解かれ、艦は護岸からゆっくりと離れていった。
岸が徐々に遠ざかっていくのを見ながら、緊張が想像よりもずっと強まるのを感じた、と彼女は語る。
「洋上に出たとき、初めて『もう自分しかいないんだ』と思ったんです」
これまで副長を務めていた護衛艦「あさぎり」では、そのような緊張を感じたことは一度もなかった。何があっても最後に決めるのは艦長――という心の余裕があったからである。
しかし呉の港を出たいま、洋上でのすべての責任は自分にあった。例えば前方に避けなければならない何かが見えたとき、面舵をとるのか、それとも取り舵をとるのか。これからは乗員が彼女の顔を見て、「艦長、どうしますか?」と最後には聞くことになる。
「私が約200人の乗員の命を預かっているんだ、という責任の重さを実感した瞬間でした」