家族4人で、1年間のアメリカ生活をスタート

最初の2日間をロサンゼルスのディズニーランドで過ごすと、母はホテルで地図を見ながら「どこに住もうか?」と聞きます。とりあえずニューヨークへと向かい、たまたま出会った人の勧めでマサチューセッツ州のイーストハンプトンへ。美しい自然あふれる街で暮らし始めました。

(上)当時の文春には結婚退社の規定があり、洋子さんは妊娠を隠し続けて2カ月間、病気休暇を取り、湘南の家でかれんさんを出産。1週間で職場へ復帰。(下)フリーの従軍記者としてベトナム戦争の最前線へ。帰国後、3児の父親と別れ、活路を求めて渡米。

アメリカの学校でも母は初日から付き添ってくれず、スクールバスで送り出すだけ。それでも母がいつも家にいて、お料理やチーズケーキをつくってくれるのはうれしかったですね。夏休みには長い旅行へ出かけ、いろんなところへ連れていってもらいました。

日本へ帰ってからも夏の旅行は欠かさず、そのクライマックスが「家族卒業旅行」。弟が大学へ入るときに2カ月かけて世界一周したのです。それまでの貧乏旅行とは違い、一流ホテルに泊まらせてくれ「これが大人の贅沢よ」と。母も子育てから卒業したのです。

私たちは「20歳になったら家を出なさい」と母に言われて育ちました。私も20代はモデルやバンドの音楽活動などの仕事がとても忙しく、母にはほぼ10年ほど会わなかったかな。結婚の報告も前日にしただけ。その後、仕事を辞めて子育てに専念すると、また母とよく会うようになりました。

そんなとき母は必ず「何で仕事しないの?」と聞き、「あなたは才能があるのだから、子どもなんて誰かに預ければ何とかなるわよ」と言うのです。私は子どもと向き合いたいという思いが強く、自分の母性に従ってきました。それでも2人目の娘を産んだ頃から、本来自分がやりたかったことがふつふつと湧いてきたのです。子どもたちを連れて海外に雑貨を買い付けに行き、自宅で紹介する仕事を始めました。