本の力を信じているだから、小松さんに頼んだ
【松村】小松さんの著書、中田英寿さんの『鼓動』は僕にとってバイブルのような存在でした。当時は、飲食店を展開する前で、日焼けサロンを経営していたのですが、その頃から「いつか、小松さんに書いてもらえるようになりたい!」と思うように。そこから11年が経って、2011年に、知人の紹介でお会いさせていただいて。
【小松】そうでしたよね。そのときに「小松さんか、村上龍さんに書いてもらいたい」っておっしゃってくださっていて、最初はてっきり作家への社交辞令だと思って「ありがとうございます、光栄です」と答えたんですけど、その後に何度も何度も「本当です」と言ってくださって。
【松村】14年に、パーキンソン病であることを小松さんにお伝えして「すべてを本で書いてほしい」って正式にお願いしたんです。
【小松】それを、幻冬舎の社長の見城徹さんに話したんですよね。見城さんから「本当に書くんだな」と念を押されながらも「お前にしか書けない。お前が書かなかったら松村は絶望するぞ」と言われ、覚悟を決めました。実際、この本を出すことは本当に怖かった。書籍はテレビのような即効性のあるメディアではないけれど、伝える力はもっと強いし深いと信じていましたから、松村社長や会社がダメージを受けないかと、不安でした。
【松村】それは僕もそう。本には力があるって信じていました。だからこそ、「この人に書いてもらいたい。この人でなくては」って思いました。
【小松】私に会う前の著作を読んで選んでくださったことが本当にうれしかった。しかし、原稿を書き続けるうちに恐れは打ち消せないまでになり、ダイヤモンドダイニングが、東証一部上場を果たした頃からは体が震えるほどでした。もし、この本が出ることで株が暴落したら、松村社長へのバッシングがあったら、と。
【松村】覚悟のうえでしたし、社員も理解してくれていました。真実だから、怖くはありませんでしたね。小松さんに書いていただけることがうれしかった。だから、本が出たときは、それこそ「熱狂」しましたよ。
【小松】できあがった『熱狂宣言』に大きな反響があり、やっぱり書いてよかったと思いました。読者は賢明で、圧倒的に松村社長を応援し、まっすぐ見つめる方たちが大勢いました。私はいつも自分の書籍で、その時代に生まれた意志・スピリットを書きたいと思っています。これまで書いてきた中田英寿さんにしろ、イチローさんにしろ、YOSHIKIさんにしろ、もちろん松村社長も、その挑戦の一つ一つのエピソードで見ると挫折の連続なんです。皆、壮絶な傷を負っているんですが、彼らが鮮やかに世界を変えたとき、その困難の歴史こそ、実は面白い読み物になっていて、人の心をつかみます。松村社長は今、誰よりも読者の心を惹きつけています。