他人の視線のためではない“じぶん”であるために
ツレヅレハナコさんなる食ブロガーが、「自分の好きなものを入れる、彩りのためだけのミニトマトやブロッコリーは使わない、香りの強いお弁当もためらわない、公園や会議室で食べるべし」などのルールの下、インスタグラムにアップしてきたお弁当のレシピをまとめた書籍『ツレヅレハナコの じぶん弁当』(小学館)が出版されたという。
「人に見せるためではなく、自分がホッとできるお弁当を!」との帯文を目にした途端、小さいときのトラウマから何十年分の紆余曲折をどっと思い出した。周りが見て、へぇと感心するような見栄えのいいお弁当を作ることが、“いいお母さん”や“家庭的な女の子”の象徴であるという感覚は、いまだに根強いのかもしれない。でもそんな、他人の視線のために存在するお弁当づくりに象徴される“いいお母さん”“家庭的な女の子”は、結局他人のために存在する人間像なのではないか。
お弁当を作るのがお母さん一択だった時代や、共働きが珍しかった時代は、もはや化石レベルの昔の話だ。でも、女性の生き方というものに選択肢がとても少なくて、そうでない生き方を選ぶと「母親のくせに」「女のくせに」とあれこれ他人から非難される時代が確実にあった。今の時代に生きる私たちも、他人の視線を気にして一通りデコ弁やキラキラ弁当を作って飽きたら、いつか“じぶん”だけのために本当の大好物の「のり納豆丼弁当」とか「豚汁&塩昆布むすび弁当」とかを作って、ひとりウヒヒと公園で楽しめるシブいステージへ上がりたいものだ。それはきっと、“じぶん”が何者なのかをようやく他人の視線で決めなくてもよくなった時、ということなのかもしれない。
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。