男性中心の仕事環境だと、若い女性は実際の能力以上に高く見積もられたり、大目に見てもらったり、ということがあります。本人の意思と関係なく“下駄を履かせ”た状態といえますが、ある年頃を境にそういうことはなくなるもの。どんなときそう感じたか? 30~40代のキャリア女性に聞きました。

社会に出て間もない頃、内心「実際の能力よりも高く見積もられている」「若いから何かと大目に見てもらっている」という思いを抱いた経験がある女性は多いかもしれません。とくに、高度な専門領域で働く女性においては、周囲からの評価に対し自己評価が著しく低い「インポスター・シンドローム」という心理状態におちいる例がしばしば報告されています(関連記事:私はみんなをだましている――優秀な女性を苦しめる「インポスター・シンドローム」とは)。しかし、男性中心の仕事環境において少数派として進出してきた女性の中でもとりわけ若い女性は、さまざまな面で優遇されてきた部分も確実にあります。

男性の多い環境で働く女性、とくに若い女性は、望むと望まざるとに関わらず“下駄を履かされた”状態になることがあります。

好む、好まないは別として女性に履かされがちな “下駄”。「35歳を境にスコーンとなくなる」という説もあるようです。具体的な年齢は「30歳」であったり「32歳」であったりそれぞれですが、筆者も30代に突入し、「下駄を履かせられる」と「下駄がなくなる」の間を日々行ったりきたりしている実感があります。そこで、今回は東京で働く女性に「あ、下駄がなくなったな」と思った瞬間を聞いてみました。

会食中の「受け身姿勢」はNG

「プレゼン中に、上司からのフォローなどがなくなってきました。これは年次を考えると当然として、会食の場においての扱われ方の変化が大きいと感じます。これまでも下っ端として宴席の幹事などは一生懸命行ってきましたが、会話においては『いじられ役』に徹し、笑顔を絶やさないのが私の処世術でした。今では、自分から話題も積極的に提供し、ときには先方に失礼のない範囲で『ツッコミ』を入れることさえ求められている気がします」(32歳/IT広告)

宴会などのコミュニケーションの場で、受け身でも相手が興味を持ってくれるのは、まだまだ大きな潜在力を秘めているとされる若い時期に限られるようです。ある程度経験を積み、内面も成熟してくる(と期待される)段階においては、自分から積極的に相手と意思疎通を図る姿勢が大事になってくるでしょう。

“女性的な感覚”が効かなくなる

「男性が多い職場なので、20代の頃は女性的な感覚を生かした企画を面白がってもらえました。でも、30歳を過ぎた頃から『ああ、またそういう感じね』といった空気が会議で流れるように……。自分でも時間がなくなるとつい“女性的な感覚”に頼って企画を考えていたように思うので、本当に面白い企画とは何か、本当にクライアントの課題に応えられる企画とは何か、ゼロから考えるようにしています。まだまだ模索中ですが」(36歳/イベント企画)

「下駄を履かせられる」ことによって、周囲から自分に与えられるイメージに女性自身が縛られてしまうということは少なくないようです。年次を重ねても幅広い仕事に新鮮な気持ちで向かい合い続けるためには、「若い女性ならではの感性」を一度払拭してしまった方がいいのかもしれません。

同期の男性と疎遠になり、ライバル視されるように

「入社当初はまるで親友のように支えてくれた、たった1人の同期の男性。古い体質の会社なので、最初は女性の私は結婚で退職すると考えられて大切にはされていましたが、キャリア的には彼の方が会社からの期待が大きい雰囲気でした。ただ、私の担当作の売り上げが伸びていくにつれてだんだんと疎遠に。最近ではあからさまな嫌味を言われたりして悲しいのですが、ある意味ではライバル視されるまでに対等に考えてくれるようになったのかも、とポジティブに考えるようにしていますね」(43歳/出版社編集)

下駄を履かせられるということは、優しく保護されているようでいる半面、正しく実力を評価されていないということでもあります。「下駄がなくなる」ことによって生じる人間関係の変化に戸惑うこともあるかもしれませんが、自分の本当の実力が評価されるまでに成長したんだ、と前向きに捉える方が、楽な気持ちで仕事に取り組めるでしょう。