出産は、医療の進んだ今でこそ命と引き換えとまではいかなくなったものの、それでもやはり人間を自分の体の中からひねり出す作業というのは、危険で過酷な作業だ。あまり男性に対しては大きな声で言わないが、女性は赤ん坊を宿したときに、その「異物」に対する体の自然な拒否反応でつわりに苦しみ、ホルモンバランスの失調に苦しむ。
人ひとり生み落とすのがどれだけ母親の身を削るかという表現で、「一度の出産で骨一本失う」というのを聞いたことがあるだろうか。栄養事情がよくなった現代でも、出産で骨が弱くなったり、歯にトラブルが起きたり、大量の抜け毛にショックを受ける女性は珍しくない。初産後すぐの女性に聞いてみるといい。彼女たちはみな、実際にやってみて初めて知ることばかり体験して、ショックを受けているはずだ。
だから、そういう女性の機能と、当事者たちの「身も心もグルグルになり、骨一本失う」作業である出産への理解なしに「子どもは3人欲しいから、若い女性を」と“所望”するのは、それこそ「産む機械」をカタログから選ぶかのような発想なのだが、まあ、そこは最も結婚が社会的契約としての意味を強く持つ市場での話。お互いのニーズが合致するのならそれでいいのだろう。
それにしても、生まれながらにして否応なくビルトインされた子宮を抱えて生きる女性たちのアイデンティティの葛藤の傍らで、健康な子どもを産める「だけ」の能力が無邪気にも市場価値として高値で流通するのを見ると、やっぱりそんな男性には「7日間流血しても死なずにいられるか、やってみる?」と嫌味の一つも言いたくなるのだ。
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。