某女性ミュージシャンの「35歳をまわると羊水が腐る」や、元厚生労働大臣の「産む機械」発言など、女性性、中でも“子宮”にまつわる話はとかく問題になりがちだ。何がそんなにカンにさわるのか、どのポイントに怒っているのか、ピンと来ない男性も多いのではないか。そのココロは……。

コラムニスト・河崎環さん

英語で “Never trust anything that bleeds for seven days and doesn't die”、「7日間流血し続けても死なないもの(=女)なんざ、信じちゃいけない」という常套句がある。

地元のバーでビールを瓶から飲みながら「なぁ、女なんて毎月生理で7日間も血を流し続けたくせに死なねぇんだぜ。あいつらこの世のもんじゃねえよ、なっ」とクダを巻く男たちの姿が目に浮かぶようで、微笑ましい。それくらい男性と女性の間には絶対的な機能上の違いがあるということだ。

その通りだよ、男性諸君。そんな恐ろしい生き物を信用しちゃいけない。7日間の出血どころか、場合によっちゃ9カ月のうちに、体内に別の生き物を宿して、ひねり出すんだぞ。普段ちょっと怪我して「血だ!」なんて騒いでいる男子からしたら、「きゃあっ!」と叫んで泣き出すようなレベルだぞ。どうだ怖いだろう! ……と威張りたくなってしまうのは、そんな面倒のない身軽な男性たちへのうらやみなのか、それとも「この思いが分かってたまるか」という反感なのだろうか。

ともあれ女性にとって、子宮や生理というのはあっても面倒だが、なくても心配しなくちゃいけないものである。産むとか産まないとか、若さだとか加齢だとか、その人のアイデンティティと密接にリンクしている。それぞれの女性がそれぞれの温度感で、自分の体内にビルトインされた機能と向き合い、それぞれに物語がある。そんな女性たちの物語が交差するのが、産婦人科という場所だ。

「もうね、私、産婦人科には行かないのよ。『産』がついてない『婦人科』のクリニックを探して行くの。待合室で妊婦さんと一緒になると、みんな幸せそうにツヤツヤ、キラキラして見えてさ。なんかいたたまれなくてね~」。30代後半で子宮筋腫が判明したばかりだった友人は、努めてサラッとした響きを保って、そう言った。「手術するのは大きめの病院なんだけど、産科の入院室と婦人科の入院室は別の棟にして、離してあるのよね。あれ、すごく患者の気持ちを考えてあるなって思う」

30代半ばから不妊治療を続けていた別の友人はこう語る。「あれってね、終わりがないの。妊娠しても100%無事に出産につながるわけじゃないから、やっとの思いで前に進んだと思った次の週には振り出しに戻るようなことばかりで、だんだん精神が痛んでいくのよね……」。子宮系の持病が悪化し、不妊治療を一旦中断して、治療のために入院した日の夜。隣室からは、臨月の妊婦が陣痛で苦しむのを家族が励ます声が聞こえてきて、彼女は「自分でもこんなに泣けるのかというくらい、不妊治療を開始して以来初めて泣いた」という。

産む人にも物語は数限りなくある。例えば子どものいる母親同士でかしましく集まっているところに、「出産のとき、どうだった?」という話題を投下したら、それだけであと1、2時間は話すだろう。出産の方法やどこの病院で産んだか、その時垣間見た有名人のウワサ話、出産までどんな暮らしをしてどんなアクティビティをしたか、食事は、ファッションは、家族や親類、周囲からどんなことを言われたか……。妊娠までの物語、妊娠してからの物語、出産当日の物語、産後の物語など、産んだ人の数だけ「涙なしには聞けない話」あるいは「すべらない話」があると思っていい。

だからこの「子宮にまつわる話」が世間で扱われるとき、あちこちからいろいろな感情が沸き起こるのだ。少し前なら女性ミュージシャンの「(高齢出産なんて)羊水が腐っている」発言や、元厚生労働大臣の「産む機械」発言などもそうだった。「女は子宮で考える」なんて手垢のついた表現に「女性の知性をバカにしている」と怒る女性知識人もいるけれど、確かに女の子宮は「考えはしない」が、子宮を持っていることによって「ホルモンバランスが思考に影響を与える」のは事実。それは十分に実感しているはずだと思うし、多分彼女たちはそんな自分と闘っているのだろう。

「子宮がないほうの性は、そういうものの考え方をするのかー!」とあまりの無邪気にすがすがしささえ感じたのは、結婚相談所にやってくる男性医師が、お相手に希望するスペックの話を聞いた時だ。こう言ってはなんだが、ボトムラインとして、全体的に整っているというかまとまっている男性医師なら、大抵は医学部6年間の間にしっかり女性側からアプローチされて売れている。彼らにとって超売り手市場のはずの自由市場なのに、自助努力で解決しなかったという時点で、結婚相談所にまでやってくる男性医師は自身に何らかの原因があると考えるべきだと思うのだが、その彼らが自分の年齢がいくつでも関係なく「お相手の女性は26歳まで!」と要求するのは常識なのだそうだ。

なぜ26歳なのか。その根拠は「医者、特に開業医の家では後継ぎを担保するために、妻は3人産むことがスタンダード」だから、なのだとか。3人産めば、多くの場合1人、うまくいけばそれ以上に男子が生まれ、頭の出来不出来に関わらず1人は後継ぎになってくれるだろうという目論見で、しかも「母親が高齢だと卵子が不健康なので子どものIQが低くなる(!)」という、私などからしたら皮肉を込めて「それを広言するなんて勇気があるなぁ」と思うような危険な信条から、その3回の出産は30代前半までに無事に終わらせなければならない。すると、結婚相手は現在26歳までのプールから選び、付き合ってお互いを知り、結婚する頃には27歳、初産年齢は28歳で、第3子は遅くとも32、33歳で産み終えるという「万端な計算」なのだという。

出産は、医療の進んだ今でこそ命と引き換えとまではいかなくなったものの、それでもやはり人間を自分の体の中からひねり出す作業というのは、危険で過酷な作業だ。あまり男性に対しては大きな声で言わないが、女性は赤ん坊を宿したときに、その「異物」に対する体の自然な拒否反応でつわりに苦しみ、ホルモンバランスの失調に苦しむ。

人ひとり生み落とすのがどれだけ母親の身を削るかという表現で、「一度の出産で骨一本失う」というのを聞いたことがあるだろうか。栄養事情がよくなった現代でも、出産で骨が弱くなったり、歯にトラブルが起きたり、大量の抜け毛にショックを受ける女性は珍しくない。初産後すぐの女性に聞いてみるといい。彼女たちはみな、実際にやってみて初めて知ることばかり体験して、ショックを受けているはずだ。

だから、そういう女性の機能と、当事者たちの「身も心もグルグルになり、骨一本失う」作業である出産への理解なしに「子どもは3人欲しいから、若い女性を」と“所望”するのは、それこそ「産む機械」をカタログから選ぶかのような発想なのだが、まあ、そこは最も結婚が社会的契約としての意味を強く持つ市場での話。お互いのニーズが合致するのならそれでいいのだろう。

それにしても、生まれながらにして否応なくビルトインされた子宮を抱えて生きる女性たちのアイデンティティの葛藤の傍らで、健康な子どもを産める「だけ」の能力が無邪気にも市場価値として高値で流通するのを見ると、やっぱりそんな男性には「7日間流血しても死なずにいられるか、やってみる?」と嫌味の一つも言いたくなるのだ。

河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。