日系企業から外資系企業へと7回もの転職を重ね、「オメガ」や「ジャガー・ルクルト」などの時計ブランドで、マネージャー、部長、事業責任者といったポジションを経験してきた森本道子さん。順調にステップアップを重ねながらも、独立への思いが起こり「起業」を決意する。現在は、株式会社ココミーユを経営する森本さんに、女性が「起業」するために大切なことを語ってもらう。

自分の思いが「起業」への道を後押しする!

30年近く、日系企業と外資系企業を通して「男性社会」の中で仕事をしてきた私にとって、2011年3月11日に起こった東日本大震災は大きな転機になりました。「運命は予測不可能」ということを強烈に認識したのです。昨日まで元気いっぱいだった人たちが一瞬にして終止符を迎えてしまう――それを目の当たりにして思ったのは、「一度きりの人生だからこそ好きなように生きていきたい」ということでした。それを自問自答した結果、長らくブランドビジネスに携わってきたことからも、「自分自身で日本発の新しいブランドをつくってみたい」という思いにたどり着きます。そして、「起業」を目指す決意をしたのです。

株式会社ココミーユ代表取締役社長である森本道子さん。7回もの転職を重ねながらキャリアを積み上げ、2013年に念願の起業をした。今回は、女性が起業するに当たって考えたい「条件」「心構え」「醍醐味」について語ってもらう。

ただ長年、企業の一員として働いてきたため、起業における法的な制約や約束ごとなどは、まったく知りません。さらに、安定している収入源を失うという不安もありました。かなり悩みましたが、それを一蹴してくれたのは母校で開かれた、ビジネス・スクール開校50周年記念イベントの中での「起業は楽しい」というシンポジウムでした。起業をしている歴代卒業生たちがパネルディスカッションで語るというスタイルでしたが、起業には苦労だけではなく、楽しさもあることを知り、あらためて「起業=会社をつくる」というチャレンジに踏み出すことを決意したのです。

2012年12月末にスウォッチグループジャパン・オメガ事業部を退職し、翌年2013年2月に、株式会社ココミーユを正式に登記しました。ココミーユは、ベビーパールを専門としたジュエリーブランドを提供する日本で初めての会社ですが、ここには、「自分のブランド=Made in Japan のブランドによって、女性たちの日々の装いに華やぎを届けたい」との思いが詰まっています。真珠は、日本文化の象徴ともいえるものです。私は真珠が大好きで、それまでにもよく手にしていましたが、実は、その良し悪しがとても分かりにくい商材ではないかという疑問もありました。それこそ、銀座の著名ブランドとテレビショッピングでは商品の価格帯が一桁も違うこともあり、真珠を好きな女性たちが購入する時の迷いもよく分かっていました。そこで、「品質と価格のバランスがとれた真珠をデイリーに使いやすく提供する」というココミーユの企業コンセプトをつくり上げたところから、私の起業はスタートします。

起業に当たっては、専門書などを読んだ上で、登記や事務的な作業を済ませば、誰でも会社を設立することはできます。ただし、起業したからといっても、すぐに順風満帆で会社経営が成り立つわけではありません。起業で重要なことは、事前に「事業計画」と「資金繰り」について考えることです。今は、自己資金0円でも起業ができますが、やはり自己資金は0よりもあった方が良いものです。というのは、大きな課題は、会社運営と事業推進のための運転資金をどうするのか、ということになるからです。十分な蓄えがあり自己資金で会社設立と運転資金をまかなえるのが理想ですが、ほとんどの方がどこかでお金を借りることになるでしょう。私は原価がかかる業態の会社を設立したため、運転資金は創業者向け融資を国庫と東京都から受けました。その審査には会社の事業計画書と財務計画書の提出が必要となることはもちろん、会社の代表者の略歴、人物も審査の対象となります。お金を借りるのですから、信用が第一となります。代表者の税金や公共料金支払いについては1年前までさかのぼり、遅滞が無かったかどうかなどを厳しくチェックされます。代表者の資産状況や、それこそ銀行預金通帳もすべてコピーされ、金銭感覚が逸脱していないかを問われるのです。自身の経済状況が丸裸にされるような気分でした。

私の場合、名前が通っているブランド企業で事業責任者をしていたことが幸いして、信用面では有利に働き、創業者融資も無事に受けることができました。資金繰りの問題はクリアです。そして、ベビーパール専門でMade in Japanの新しいジュエリーブランドというコンセプトが成功して、取引先の開拓も少しずつ広げることができるようになりました。ただし、新たな問題も発生します。人材の確保です。立ち上がったばかりの弱小企業には、なかなか良い人材は集まりません。また、一緒に会社を立ち上げた友人も個人的問題で田舎に帰ってしまい、新たに営業部長として迎えた女性も体調を崩して退職をしてしまうなど、苦難の連続。一緒に会社を大きくしたい、というような夢を持ってくれるメンバーが集まってくれるのが理想ですが、なかなかそうはいきません。そんな時に私を助けてくれたのは、それまでのキャリアで培ってきた人脈でした。紹介が紹介を呼び、営業やマーケティング、またはベビーパールジュエリーのデザインや制作をする仲間が1人増え、2人増えして、会社運営を軌道に乗せることができるようになっていきました。