均等法1年生。営業に女性の先輩はひとりもいない。会社も女性を「お試し」している時期だ。1年間研修を受けたらポイッと放り出されて独り立ちを求められた。コンピュータの構成ひとつとっても難解で、頼りのマニュアルは多くが英語。わからないことだらけでミスが絶えなかった。

「ハードをお届けしてもソフトの発注を忘れていて、明日から動かしたいシステムが動かせないとか、当時は手書きで見積書を作り、お客さまに持参したのですが、後から電話があって計算ミスを指摘されたり。毎日取り返しのつかないミスをしてお客さまにも上司にもずいぶん迷惑をかけました」

アップルと提携し、企業のモバイル対応を支援するサービスを開始。まずは自分たちが使いこなせるようにと、活用中。

頻繁に間違いを犯すうちに、何かトラブルが起きると反射的に「私、また何かやったんだ。絶対そうだ」と思うようになる。

「あのころは、一番信用できないのが自分でした。でも、突き詰めれば何が悪かったかわかります。完璧に仕事をこなして失敗したら心が折れたかもしれませんが、そうではないので仕事の一つひとつを細かくチェックしていけば必ず改善できると考えました」

失敗のたびに、いかに小さな積み重ねが大事かを知り、仕事のやり方が変わっていった。自分でチェックできないと思えば、同僚に確認してもらった。おかげで現在は「チームメンバーがいいかげんな仕事をすると全部わかりますよ。自分がそうだったから(笑)」。

志済聡子
1963年北海道生まれ。86年北海道大学法学部卒業後、日本アイ・ビー・エム入社。26歳で結婚、27歳で長女を出産。官公庁システム事業部第二営業部長、ソフトウェア事業公共ソフトウェア営業部長などを経て2009年より執行役員。

撮影=市来朋久