若手のころ、何をやっても間違いを犯す自分が嫌でたまらなかったという志済さん。何か起きたら自分の責任と考え、仕事のやり方を改善してきた。でも、仕事の失敗よりも、もっと辛いことがあったようだ……。
私、今度は何をやらかした?
日本アイ・ビー・エム(IBM)の志済(しさい)聡子さんは2009年に執行役員になり、公共部門と通信部門の営業チームを担当してきた。いまもチームメンバーと顧客を訪問する日々だ。「メンバーのパフォーマンスを最大限引き出し、いい仕事をしてもらう」のが一番の目標。役員になって大きく変わったのが人の動かし方だという。
「細かく指示して動かすのではなく、ビジョンを示してそれに共感し動いてもらうことが大事です。これが難しいんですけどね」
最近は社会貢献にも積極的だ。たとえば母校の北海道大学が設けたグローバル人材輩出のプログラムでは、まったくのボランティアでアドバイザー役を引き受ける。
「仕事以外のところで得るものが人間に深みを与えるような気がします」
そうやって人間味が醸成され、チームの共感を呼ぶ役員が形作られていくのかもしれない。
そんな志済さんにも「何をやっても間違える」時代があった。新卒で入社し、北海道営業所で過ごした4年間だ。
均等法1年生。営業に女性の先輩はひとりもいない。会社も女性を「お試し」している時期だ。1年間研修を受けたらポイッと放り出されて独り立ちを求められた。コンピュータの構成ひとつとっても難解で、頼りのマニュアルは多くが英語。わからないことだらけでミスが絶えなかった。
「ハードをお届けしてもソフトの発注を忘れていて、明日から動かしたいシステムが動かせないとか、当時は手書きで見積書を作り、お客さまに持参したのですが、後から電話があって計算ミスを指摘されたり。毎日取り返しのつかないミスをしてお客さまにも上司にもずいぶん迷惑をかけました」
頻繁に間違いを犯すうちに、何かトラブルが起きると反射的に「私、また何かやったんだ。絶対そうだ」と思うようになる。
「あのころは、一番信用できないのが自分でした。でも、突き詰めれば何が悪かったかわかります。完璧に仕事をこなして失敗したら心が折れたかもしれませんが、そうではないので仕事の一つひとつを細かくチェックしていけば必ず改善できると考えました」
失敗のたびに、いかに小さな積み重ねが大事かを知り、仕事のやり方が変わっていった。自分でチェックできないと思えば、同僚に確認してもらった。おかげで現在は「チームメンバーがいいかげんな仕事をすると全部わかりますよ。自分がそうだったから(笑)」。
1963年北海道生まれ。86年北海道大学法学部卒業後、日本アイ・ビー・エム入社。26歳で結婚、27歳で長女を出産。官公庁システム事業部第二営業部長、ソフトウェア事業公共ソフトウェア営業部長などを経て2009年より執行役員。