■編集部より指令

先日、とある会合で出会ったワーキングマザーがぽつり。

「駅構内でベビーカーを運んでいるとき、助けてくれるのは女性か外国人。妊婦時代に電車で席を譲ってくれたのも女性が多く、男性のなかには私を押しのけて席をとり、爆睡するような人も」……。

彼らはなぜ、困っている女性に手を差し伸べないのでしょうか。

■大宮冬洋さんの回答

日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか
http://president.jp/articles/-/13600

■佐藤留美さんの回答

小学校で女性を助けるべしと学ぶヨーロッパ人

理由は2つあると思います。

一つは、日本の男性が受けてきた幼少期からの教育です。

私にはJordanというデンマーク人の男友達がいるのですが、男女平等が徹底したかの国で育てられた彼は、近隣にエレベーターが見当たらず、ベビーカーを抱えて階段を昇る女性に対し見てみぬふりをする日本人は“So rude”だと呆れています。

彼らヨーロッパ人は、母親や父親から、あるいは小学校の教師から、「男性より握力や体力が弱い女性を助けるのは当たり前」と繰り返し言われ、育つそうです(ビクトリア時代から続く、「騎士道精神」がベースとの話)。

だからこそ、彼らはベビーカーを抱えて階段を上る女性に限らず、重いスーツケースを抱えた女性、あるいはドアを前にした女性を(さらに言うならハンディキャップを持つ方々やお年寄りも)、当たり前のように助けます。

そして、そんなことを幼少のみぎりから行っている“副産物的効果”は思いのほか、大きいそうです。

というのも、困っている人を助けるということは、困っている人の気持ちを想像することでもあります。

自分と異なる境遇に置かれた人の立場を考えることは、周囲の人々に配慮しなければいけないのだという「コミットメント(責任)意識の形成」に繋がり、ひいては、少子化や高齢化といった社会問題を考えるといったキッカケにもなりうる、と彼は言います。

反対に、困っている人を助けない言動は、「無関心や無感動を引き起こす」。

なぜなら、困っている人の立場を想像することがなければ、彼ら彼女らの問題は、存在しないかのごとく認識してしまうからです。