皇室に“居場所”が持てるのか
改正法による弊害は、もちろんご結婚式の問題だけではない。配偶者やお子さまが国民であれば、皇室の中に居場所を見つけにくいのではないか。
新年や天皇誕生日の一般参賀、歌会始の儀、園遊会などの皇室行事の際に、どこにいればよいのか。元宮内庁書陵部編修課長だった鹿内浩胤氏は「(それらの行事は)一般の参賀者や入選者、招待者との身分の違いを前提とする」(「読売新聞」同前)と指摘されている。
たとえば一般参賀の時に、参賀につめかける人たちと同じ身分の国民が、参賀を受ける側に交じっていてはおかしい。ほかの行事でも同様だろう。
かと言って、配偶者やお子さまを除外すると「差別的な扱いに映り、『家族の一体感』が損なわれかねない」(鹿内氏)。
敬宮殿下がめでたく結婚され、お子さまが生まれて成年に達しても、一般参賀の時に配偶者やお子さまが皇居・長和殿のベランダに立つことはできないだろう。園遊会でも、招待者を迎える列に加われない。
その時、本人たちがどんな気持ちになるか。制度化を強引に進めた高市早苗首相は少しでも考えたことがあるだろうか。
「皇族と国民が1つの家族」の根本的矛盾
当たり前ながら配偶者やお子さまが国民ならば、政治活動の自由や表現の自由、職業選択の自由などが、すべて憲法(第3章)によって保障される。
一方、内親王・女王は憲法(第1章)によって日本国および国民統合の象徴とされる天皇・皇室を支えるお立場だ。なので、政治への関与をはじめ国民に認められる自由・権利は、大幅に制約されざるをえない。
しかし社会通念上、夫婦や親子は一体と見られがちだ。配偶者やお子さまが国民として自由な活動をすれば、それは内親王・女王のご活動として、あるいは皇室のご活動に近いものとして受け取られるのを、避けにくい。
憲法第1章が優先的に適用され、自由・権利を大幅に制約される内親王・女王と、憲法第3章によって自由・権利が全面的に保障されている国民。その両者が「1つの家族」を構成するという憲法上ありえない制度設計は、皇室の公正中立性と国民の制約なき自由・権利という、両立困難な根本的矛盾を抱える。