「オールラウンダー」としての原点
これに先立って8月17日に開かれた半導体物理の国際会議でも、挨拶のなかで、この会議を通して「分野や国境を越えた新たな協力関係が育まれ」、「次の世代を担う若い参加者の皆様にも」実り多いものであることを願っていると述べていた。
そこでも未来が志向されているわけで、愛子内親王は若い世代の代表としての立場から、つねに「おことば」を述べていることになる。それも説得力に結びついている。
愛子内親王が大学を卒業した後、大学院にまで進み、専門分野を究める方向にむかっていたとしたら、現在のように、国際的な学会において「オールラウンダー(万能選手)」としての活躍を示すことはなかったかもしれない。
悠仁親王は、現状において、それとはまったく反対の方向にむかっているわけである。同じ秋篠宮家の佳子内親王も、手話に関連する催しものでは「おことば」を述べることが多く、緑や馬術、スポーツ行事などでも挨拶している。ただ、愛子内親王のような、専門分野を横断するオールラウンダーとしての活動とは、かなり趣が異なる。
「愛子天皇」待望論の根本的な基盤
天皇や皇族が「非人間的な生」を押しつけられているという見方はある。たしかに、一般の国民に認められた職業選択の自由はないし、発言や日常の行動にも、皇族という立場からさまざまな制約がある。絶えず警備がつき、それから解放された気ままな生活を送ることはできない。
その点で、皇室というあり方そのものを解体し、天皇や皇族に国民と同様の自由を与えるべきだという主張もある。
10月24日から施行される改正皇室典範で旧宮家からの養子が可能になっても、現実にはそれが現れないと予測されるのも、皇族になれば窮屈な生活を強いられるからである。
しかし、愛子内親王のしなやかなふるまいを見ていると、そこに窮屈さや不自由さを見いだすことはない。成年の記者会見で、長所としてどこでも寝られることを挙げたのも、それが関係するかもしれない。
むしろ愛子内親王は天皇直系の内親王として、国際会議での挨拶もそうだが、その立場でしかできないことに喜びを見いだし、充実した日々を送っているように見受けられる。
なかなかそれだけの人物は、現れないものである。一朝一夕ではけして生まれない、長い年月で培われた「資質」である。
そこに、揺るぎない「愛子さま」人気があり、「愛子天皇」待望論が生まれる根本的な基盤があるのではないだろうか。
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