「聖家族」を想起させる御一家
今後も公的な機会においては、必ず愛子内親王が真ん中になり、その脇を天皇と皇后が固める形になるはずだ。制度の上で、愛子内親王が天皇に即位できなくても、実質的な後継者はほかにいないということを、天皇一家は暗に示している。
そうした防災訓練での微笑ましい一家の姿を見て、私が連想したのが、キリスト教美術の代表となる「聖家族像」である。
キリスト教美術の場合、典型的ないくつかのパターンがある。アダムとイブの「楽園追放」や、聖母マリアがイエス・キリストを宿したことを天使から伝えられる「受胎告知」などである。
なかでも聖家族像は、聖母マリアがイエス・キリストを抱いている「聖母子像」とともに数多くの作品が作られてきた。その際の聖家族とは、幼子イエスと母マリア、そして養父と位置づけられるヨセフである。作品によっては、ヨセフに代わって、マリアの母でイエスの祖母にあたるアンナが加わることもある。
イエスは独身のまま亡くなり、自ら家族をつくることはなかった。だが、多くの聖家族像が作られてきたのは、キリスト教が広まった地域において家族というものがいかに重要視されたかを示している。
ヨセフは、イエスと血がつながっていないので、その位置に微妙なところはある。だが、それでも仲睦まじいイエス一家の姿は、キリスト教徒の家庭の「模範」として捉えられてきた。今の天皇一家は、日本版の聖家族なのではないか。最近になればなるほど、その印象は強まっている。
愛子さまがもたらす家族の朗らかさ
愛子内親王が誕生したことで、今の天皇一家が生まれたわけだが、当初の段階では、次に第2子が生まれることも想定されていた。その後、愛子内親王が学習院初等科でいっとき欠席が続いたり、雅子皇后の体調に波が生まれたりして、一家にはどこか不安定な部分がつきまとっていた。
ところが、愛子内親王が成年となり、大学を卒業して、公務に積極的に携わるようになると、状況が大きく変わった。天皇一家に自信と安定、そして朗らかさがもたらされたのだ。
そこには皇后の体調が改善したことが関わっていることだろう。愛子内親王が立派な女性皇族として成長した姿を示すことで、母親である雅子皇后も、心に余裕が生まれた。その結果、これまで以上に積極的に公務に携わるようになり、国民の前に頻繁に姿を現すようになったのだ。
家族のなかに、一人でも問題を抱え、悩んでいる人間がいれば、そのことは一家全体に影響する。これは誰もが経験していることであろう。そうした時期には、一家は不安定で、とても朗らかというわけにはいかない。
逆に、家族のなかの誰かが成長し、心身ともに安定した状態を保てるようになると、それがお互いに好ましい影響を与え合い、家族に輝きをもたらすことになる。そうした一家に接すると、他人であっても、心が和んでくる。
現在の天皇一家は、まさにそうだ。聖家族がおのずと連想されるのも、今の天皇一家の放つ輝きのなせるわざである。