高市政権下で成立した改正皇室典範は、10月24日に施行される。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「皇族数の確保が改正目的だと説明されてきたが、実際には、女性天皇や女系天皇を『排除』するための法改正だといわれている」という――。

「なぜ、愛子さまは、天皇になれないのか」

来月10月24日には、改正皇室典範が施行される。それは、皇族数の確保を目的としたものだと説明されてきたが、実際には、女性天皇や女系天皇を「排除」するための法改正だと指摘されている。

ところが、高市政権下で改正法が成立して以降、女性天皇を容認する世論が多数を占めるなか、その対象となる愛子内親王に「次代に即位してもらいたい」という声は、確実に国民のあいだで強まっている。

近鉄宇治山田駅を出発し、出迎えた人たちに手を振られる愛子さま=2026年8月1日、三重県伊勢市
写真提供=共同通信社
近鉄宇治山田駅を出発し、出迎えた人たちに手を振られる愛子さま=2026年8月1日、三重県伊勢市

「なぜ、愛子さまは、天皇になれないのか」。そんな疑問を口にする人たちが、ちまたでは増えている。

現在の制度においても、また改正皇室典範においても、皇位継承資格は「皇統に属する男系の男子」に限られる。その点では、愛子内親王が天皇に即位することは、あり得ない。

しかし、今回の改正では、旧宮家からの養子が可能になり、養子になった当人には皇位継承の資格は与えられないものの、その子どもが男子であれば、その資格が与えられる。

天皇の直系である愛子内親王が天皇にはなれず、“赤の他人”である養子の男系男子の子どもなら、それが可能になる。それは理不尽なことではないか。そこに、国民の疑問は集中している。

一方で、天皇一家が愛子内親王を中心に押し出そうとしていることも、そうした疑問を強化している。天皇一家は愛子内親王を望み、皇嗣こうしである秋篠宮でさえ、8月13日の記者会見では、天皇家の考えを尊重していることがうかがえる。かつて秋篠宮は、高齢で自身が即位することの難しさを、当事者として語ったとも報じられている(朝日新聞2019年4月20日付)。

当事者たちが望んでいることが実現しないのはおかしい。そうした声も高まっている。

天皇一家の中心となる愛子さま

そんななか、9月1日の防災の日には、皇居・宮内庁で防災訓練が行われ、天皇皇后とともに愛子内親王がそれに参加した。これまで、そうした訓練に天皇と愛子内親王は参加したことがあるが、一家揃ってというのは初めてのことで、その模様を公開したのも初のことだった。

一家三人が並んで訓練用の消火器を噴射したとき、天皇に渡されたものが最も大きかったので、皇后と愛子内親王の放水が終わっても、天皇の持つ消火器はまだ放水を続けていた。それを見て、愛子内親王が「大きいから」と言っている光景がほほえましいと、SNSでは話題になった。一家の表情は和やかで、仲の良さがそのまま表に出たような訓練の光景だった。

私たち国民が注目しなければならないのは、消火器で放水を行ったときの一家三人の並び方である。愛子内親王が真ん中で、その両脇に天皇と皇后が並んだ。

これは〈愛子さまはついに覚悟を決められた…ボブヘアと天覧試合の席順に込められた天皇一家から国民へのメッセージ〉に書いたことだが、今年3月のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)における対オーストラリア戦で「天覧試合」が実現したときと同じである。一家での観戦で、貴賓席では愛子内親王が、真ん中に座った。

そうした場面では、これまで天皇が真ん中だった。それが、そのとき初めて改められた。それ以来、そうした機会がなかったのだが、今回の防災訓練によって、これが天皇家の方針であることが明確になった。これからの天皇家は、愛子内親王を中心としていく。天皇も皇后も、そのように考えているのである。

「聖家族」を想起させる御一家

今後も公的な機会においては、必ず愛子内親王が真ん中になり、その脇を天皇と皇后が固める形になるはずだ。制度の上で、愛子内親王が天皇に即位できなくても、実質的な後継者はほかにいないということを、天皇一家は暗に示している。

宮内庁の防災訓練に参加された天皇御一家(2026年9月1日)(出典=宮内庁Instagram[@kunaicho_jp]

そうした防災訓練での微笑ましい一家の姿を見て、私が連想したのが、キリスト教美術の代表となる「聖家族像」である。

キリスト教美術の場合、典型的ないくつかのパターンがある。アダムとイブの「楽園追放」や、聖母マリアがイエス・キリストを宿したことを天使から伝えられる「受胎告知」などである。

なかでも聖家族像は、聖母マリアがイエス・キリストを抱いている「聖母子像」とともに数多くの作品が作られてきた。その際の聖家族とは、幼子イエスと母マリア、そして養父と位置づけられるヨセフである。作品によっては、ヨセフに代わって、マリアの母でイエスの祖母にあたるアンナが加わることもある。

イエスは独身のまま亡くなり、自ら家族をつくることはなかった。だが、多くの聖家族像が作られてきたのは、キリスト教が広まった地域において家族というものがいかに重要視されたかを示している。

ヨセフは、イエスと血がつながっていないので、その位置に微妙なところはある。だが、それでも仲睦まじいイエス一家の姿は、キリスト教徒の家庭の「模範」として捉えられてきた。今の天皇一家は、日本版の聖家族なのではないか。最近になればなるほど、その印象は強まっている。

愛子さまがもたらす家族の朗らかさ

愛子内親王が誕生したことで、今の天皇一家が生まれたわけだが、当初の段階では、次に第2子が生まれることも想定されていた。その後、愛子内親王が学習院初等科でいっとき欠席が続いたり、雅子皇后の体調に波が生まれたりして、一家にはどこか不安定な部分がつきまとっていた。

ところが、愛子内親王が成年となり、大学を卒業して、公務に積極的に携わるようになると、状況が大きく変わった。天皇一家に自信と安定、そしてほがらかさがもたらされたのだ。

そこには皇后の体調が改善したことが関わっていることだろう。愛子内親王が立派な女性皇族として成長した姿を示すことで、母親である雅子皇后も、心に余裕が生まれた。その結果、これまで以上に積極的に公務に携わるようになり、国民の前に頻繁に姿を現すようになったのだ。

家族のなかに、一人でも問題を抱え、悩んでいる人間がいれば、そのことは一家全体に影響する。これは誰もが経験していることであろう。そうした時期には、一家は不安定で、とても朗らかというわけにはいかない。

逆に、家族のなかの誰かが成長し、心身ともに安定した状態を保てるようになると、それがお互いに好ましい影響を与え合い、家族に輝きをもたらすことになる。そうした一家に接すると、他人であっても、心が和んでくる。

現在の天皇一家は、まさにそうだ。聖家族がおのずと連想されるのも、今の天皇一家の放つ輝きのなせるわざである。

戦後皇室が「家族」を見せた意味

今から約140年前になるが、明治の時代に、日本で初めての近代憲法である大日本帝国憲法が制定されたときのことである。憲法制定を主導した初代首相の伊藤博文は、日本にはキリスト教のような強い力を持つ宗教が存在しないので、皇室を「国家の機軸」に据えるという方針を打ち立てた。国家の機軸とは、日本の国を中心になってまとめあげる存在のことである。

その時代に機軸として想定されたのは、あくまで天皇一人だが、戦後は、皇室のあり方も変わり、とくに女性皇族が前面に出ることで、家族という側面が重要性を増してきた。

だからこそ、皇太子夫妻の「ご成婚」に大きな注目が集まった。とくに現在の上皇夫妻のケースでは、一般国民のカップル(当時はアベック)の理想ともされた(森暢平『天皇家の恋愛 明治天皇から眞子内親王まで』中公新書)。そして、美智子上皇后による子育てが、新しい時代の育児法として着目されたのだ。こうして戦後の皇室は、家族として国民全体のモデルの役割を果たしてきた。

皇太子ご夫妻と3人のお子さま(1969年9月)
皇太子ご夫妻と3人のお子さま(1969年9月)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

そこに、戦後の日本国憲法が規定する「象徴」という意味がある。天皇一家は、国民の理想を体現し、それを象徴する存在となったのである。

「愛子天皇」待望論が高まるワケ

天皇一家が、日本版聖家族となったことも、「愛子天皇」待望論がこれまで以上に高まることに貢献している。仲良く、また気取らない天皇一家の中心に位置づけられた愛子内親王に、日本の未来の姿を見いだしたいというわけである。そんな気持ちが、国民のあいだに強まっているのだ。

もちろん、聖家族は永遠のものではない。キリスト教の聖家族像でイエスは幼子として描かれるが、その後成長し、信仰を貫くことで十字架刑に処せられた。聖母子像を見つめる信者の頭のなかには、当然、そのことが浮かんでくる。

天皇一家の場合も、愛子内親王が結婚ということになれば、今のような形のままではなくなる。今回の改正皇室典範では、結婚後の女性皇族の身分保持が可能になったが、天皇一家だけで公の場に現れることは少なくなっていくであろう。

天皇や皇后の老いということも想定される。上皇は2019年に退位したが、その際に、皇室典範は改正されなかった。つまり、今でも天皇は終身で、亡くなるまでその座にあることが原則になっている。退位は、「特例法」という特殊な形式によってなされたのである。

「愛子天皇」実現への道のり

「愛子天皇」を実現するには、現行の皇室典範が壁になっている。改正された皇室典範でも、女性天皇や女系天皇への道は、開かれていない。

愛子内親王殿下(2022年12月)
愛子内親王殿下(2022年12月)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

しかし、改正皇室典範が成立した後になって、その「再改正」を求める声も高まっている。たとえば、前首相の石破茂氏は、養子案について国民の賛同が得られていないことを踏まえ、「国民の総意がそこにないとすれば、(養子案は)憲法に抵触するのではないか」と述べ、皇室典範のさらなる改正が必要だとの考えを示している。

読売新聞になると、改正皇室典範の成立直後の7月18日の社説で、むしろ検討が必要なのは、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持するのにとどまらず、「女性宮家」の創設だとした上で、「女性・女系天皇」も排除しない皇位継承策を議論する必要があるとしている。頑なに男系男子による継承にこだわるのは、国民を分断することになるというのだ。

こうした見解を踏まえても、皇室典範の再改正が必要である。

そこまで踏み込んでいかなければ、将来における皇位の安定的な継承も、実現できないのではないだろうか。