維新の元勲、後藤象二郎を看護

看護婦講習所で講義をおこないながら、オファーがあれば看護婦として派遣先へ赴く。東京に戻ってから3カ月後には、維新の元勲で政府の重職を歴任した後藤象二郎から依頼を受けた。心臓を患い箱根で静養する後藤に付き添うことになる。せっかく帰京したのだが、これでまたしばらく家族と離れて暮らすことになってしまう。家でゆっくりしている間がない。

後藤象二郎の肖像写真
後藤象二郎の肖像写真、1897年以前(画像=(近世名士写真 其2/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

母の哲は還暦を過ぎても元気で家を切り盛りしている。それがありがたかった。この母がいるから、和も好きな仕事に没頭できる。子どもたちの教育についても、哲に任せきりにしていた。和が娘だった頃には、母から稽古事けいこごとや家事などを厳しくしつけられたという記憶がある。しかし、孫には甘くて過保護だった。

息子は現在の東京大学に合格

それもあってだろうか、長男・六郎は意気地がなく依頼心が強い。和にはそれが少し気になっている。それでも学業成績は優秀、難関の旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)にも合格した。高校卒業後は東京慈恵医院医学校(現在の東京慈恵会医科大学)で学んでいる。

また、娘の心のほうも東京慈恵医院看護教育所(現在の慈恵看護専門学校)に入学して看護婦をめざすようになった。

看護婦になってからは一家団欒だんらんの時間もとれず、あげくに長期間の単身赴任。我ながら母親としては失格だと思う。寂しかっただろうけど、子どもたちは和の仕事の大切さをよく理解して、尊敬や憧れの念を抱くようになり、自分と同じ道を歩もうとしている。それが誇らしくうれしかった。

秋田時代の大関和(写真前列、左はじ)
写真提供=医療法人知命堂病院
新潟時代の大関和(写真前列、左はじ)、看護学校の生徒たちと