麻生氏の皇室観=「臣茂」

〈これについて祖父は、「私は、あくまで、親子、君臣に関するわが国古来の伝統は、今後も永くわが日本の道徳の中心、国家秩序の根源たるべきものと確信する。その意味で、私が『臣』と称するを特に非難する精神こそ不可というべきである」と述べ(略)、そこに、祖父の強い意志が感じられる〉

さらに『回想十年』から、茂の皇室観を17行にわたり引用した。長いので全てを紹介することはしないが、始まりはこうだ。〈父母を同じくするもの家をなし、祖先を同じくするもの集まって民族をなし、国をなす〉。

そしてこうまとめる。

〈このように祖父は終始一貫して、民族固有の国民的道徳の大切さを説いていた。そして、この道徳観の上に立った民主主義を確立しなければならないと訴えていた〉

そして母の著書から「祖父と昭和天皇」の思い出を引いた後、この章をこう終える。〈終生を「臣茂」で生きた祖父の畏まった姿が、今も目に浮かぶ〉。

独自の皇室観は浮かんでこない。わかるのは「太郎の皇室観=臣茂」だということだ。

「わが国古来の伝統」「民族」「道徳」といった祖父の言葉の断片を、「吉田茂の孫である」という自負と共に長きにわたり熟成させてきたのだろう。刷り込み、刷り込み、結果、「絶対男系男子、以上終わり」が信念になる。それが全てだから、語るべき余白がないのだと思う。

吉田茂と麻生和子(1951年9月2日、サンフランシスコ)
吉田茂と麻生和子(1951年9月2日、サンフランシスコ)(写真=毎日新聞社『写真 昭和30年史』/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

母の著書からは「健全さ」が伝わってくる

ちなみに和子さんの『父 吉田茂』にも「臣茂」は出てくる。その書きぶりは『祖父・吉田茂の流儀』とだいぶ違う。「臣茂」が議論になったことについて、こう書く。〈そのことの是非はともかくとして、父が昭和天皇陛下を心からご尊敬申し上げていたのは事実です〉。

そこから総理大臣時代の茂が昭和天皇に会い、「ご下問」をいただいた話へと転じる。〈ちゃらんぽらんでごまかし上手な父もさすがに真面目にお答えしていたようです〉。そして、天皇に「追って調べてまいります」と言ってきたという父との会話をこんなふうに続ける。〈「へえ、よく正直におっしゃったのね」とからかうと、「相手がわるいよ」と父は笑っていました〉。

天皇への尊敬の念を持ちつつ、軽やかに語り合う父と娘。健全さが伝わってくる。ちなみにだが、『祖父・吉田茂の流儀』より『父 吉田茂』のほうがはるかに面白い。間近にいた分エピソードが豊富というのもあるが、それ以上に和子さんの確かな観察眼に裏打ちされた自由さがあるのだ。