高市政権は、今国会中の皇室典範の改正に意欲を見せている。なぜ“養子案”にこだわるのか。コラムニストの矢部万紀子さんは「鍵を握っているのは麻生太郎氏だ。世論が女性天皇を容認する中でも、麻生氏は譲ろうとしない。その頑なさは、吉田茂の孫という自負と無縁ではないだろう」という――。
令和7年12月5日、高市総理は、総理大臣官邸で世界銀行グループのアンジェイ・バンガ総裁及び世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長による表敬を受けた
令和7年12月5日、高市総理は、総理大臣官邸で世界銀行グループのアンジェイ・バンガ総裁および世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長による表敬を受けた(写真=首相官邸/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

なぜ麻生氏にとって「死活的な課題」なのか

麻生太郎という人がよくわからない。政府は皇族数の確保に向けて皇室典範改正を今国会で目指している。それは「①女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つ」と「②旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎える」なのだが、②が高市政権下でグイグイと力を得たのは、麻生さんがいたから。だって高市政権をつくったのは麻生さんだし、国会で各党の意見を取りまとめた森英介・衆院議長はそもそも麻生派の大幹部――という筋はわかっている。

森さんら衆参両院の正副議長は6月22日、政府の改正案骨子を了承した。

参考:朝日新聞「皇室典範改正案の骨子、正副議長が『了承』 要綱は25日に再協議

だけど、なんで麻生さんはそれほど男系男子にこだわるのか。それがよくわからない。

自分の派閥の会合で、「皇室典範改正は死活的な課題だ」と言い(4月16日)、安定的な皇位継承に関する「立法府の総意」がとりまとめられた後は「長い年月がかかったが、ようやくここまでたどり着いた」(6月11日)と言っている。意気込みを強く語り、それが果たせそうだとしみじみしている。

参考:時事通信「皇室典範改正『死活的な課題』 自民・麻生氏、今国会実現に意欲

だけど、なぜ死活的なのか、なぜ「ここ」にたどり着く必要があるのか。しみじみの前提となる「思い」がわからない。

著書を読んでも「皇室観」は見えない

推測は可能だ。初等科3年から大学卒業まで学習院に通い、妹は三笠宮寬仁親王妃だ。皇室というものがごく身近にある。だけど、身近でも「男系男子」にこだわらない人もいるだろう。ただまあ彼の場合、生まれた時から麻生グループの御曹司で、ずっと「(すごく高い)お山の大将」だ。「現状」に疑問を感じることのない環境にいるから、「現状維持→伝統→ブラボー」になる。

といった推測でなく、本当のところが知りたい。そう思い、彼の著書『祖父・吉田茂の流儀』(2000年刊)を手に取った。祖父を通して皇室観が見えてこないかな、と思ったのだ。

読んでみたら、彼の母・麻生和子さんの著書『父 吉田茂』(1993年刊)と茂本人の著書『回想十年』(1957、58年刊)に頼るところが大きい本で、祖父の思い出はさほど多くない。だから読後も麻生太郎という人が際立ってこない。

皇室については、「終生を『臣茂』として生きて」というタイトルで書かれている。少し思い出に触れた後、1952(昭和27)年に明仁親王(現在の上皇さま)の成年式と立太子礼が行われたときに、総理大臣だった吉田茂が祝いの言葉で自分のことを「臣茂」と述べ、それが民主主義に反すると議論の的になった、という話を書く。そして、茂の反論を紹介する。

麻生氏の皇室観=「臣茂」

〈これについて祖父は、「私は、あくまで、親子、君臣に関するわが国古来の伝統は、今後も永くわが日本の道徳の中心、国家秩序の根源たるべきものと確信する。その意味で、私が『臣』と称するを特に非難する精神こそ不可というべきである」と述べ(略)、そこに、祖父の強い意志が感じられる〉

さらに『回想十年』から、茂の皇室観を17行にわたり引用した。長いので全てを紹介することはしないが、始まりはこうだ。〈父母を同じくするもの家をなし、祖先を同じくするもの集まって民族をなし、国をなす〉。

そしてこうまとめる。

〈このように祖父は終始一貫して、民族固有の国民的道徳の大切さを説いていた。そして、この道徳観の上に立った民主主義を確立しなければならないと訴えていた〉

そして母の著書から「祖父と昭和天皇」の思い出を引いた後、この章をこう終える。〈終生を「臣茂」で生きた祖父の畏まった姿が、今も目に浮かぶ〉。

独自の皇室観は浮かんでこない。わかるのは「太郎の皇室観=臣茂」だということだ。

「わが国古来の伝統」「民族」「道徳」といった祖父の言葉の断片を、「吉田茂の孫である」という自負と共に長きにわたり熟成させてきたのだろう。刷り込み、刷り込み、結果、「絶対男系男子、以上終わり」が信念になる。それが全てだから、語るべき余白がないのだと思う。

吉田茂と麻生和子(1951年9月2日、サンフランシスコ)
吉田茂と麻生和子(1951年9月2日、サンフランシスコ)(写真=毎日新聞社『写真 昭和30年史』/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

母の著書からは「健全さ」が伝わってくる

ちなみに和子さんの『父 吉田茂』にも「臣茂」は出てくる。その書きぶりは『祖父・吉田茂の流儀』とだいぶ違う。「臣茂」が議論になったことについて、こう書く。〈そのことの是非はともかくとして、父が昭和天皇陛下を心からご尊敬申し上げていたのは事実です〉。

そこから総理大臣時代の茂が昭和天皇に会い、「ご下問」をいただいた話へと転じる。〈ちゃらんぽらんでごまかし上手な父もさすがに真面目にお答えしていたようです〉。そして、天皇に「追って調べてまいります」と言ってきたという父との会話をこんなふうに続ける。〈「へえ、よく正直におっしゃったのね」とからかうと、「相手がわるいよ」と父は笑っていました〉。

天皇への尊敬の念を持ちつつ、軽やかに語り合う父と娘。健全さが伝わってくる。ちなみにだが、『祖父・吉田茂の流儀』より『父 吉田茂』のほうがはるかに面白い。間近にいた分エピソードが豊富というのもあるが、それ以上に和子さんの確かな観察眼に裏打ちされた自由さがあるのだ。

吉田茂なら、今の状況をどう捉えるか

吉田茂という政治家は「現実主義」で、その典型が総理大臣として決断したサンフランシスコ講和条約の「部分講和」だとされる。全交戦国との全面講和を選ばなかったことについて、和子さんは〈国際情勢をちょっとみれば、この時点で全面講和が望めるかどうかはあきらかでした〉と書いている。

昨今の「男系男子養子案」に目を転じる。朝日新聞社が6月20、21日に実施した世論調査に、「旧宮家の男系男子を養子として皇族にする法整備を急ぐべきか」という質問があった。結果は「急ぐべきだ」が19%、「急ぐ必要がない」が71%だった。

参考:朝日新聞「旧宮家の男系男子の養子案、「急ぐ必要ない」71% 朝日世論調査

6月11日、天皇陛下はオランダ、ベルギーへの公式訪問を前に記者会見に臨み、前日に衆参両院の正副議長のもとでまとめられた皇族数の確保策についてこう述べた。「皇族数の確保のあり方についての議論においても、国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」。

参考:宮内庁「オランダ及びベルギーご訪問に際し(令和8年)

X上の「これはもう令和の『世界一丁寧で気高いマジギレ』会見だと思う」という投稿は22日現在で6000万以上再生され、36万「いいね」がついている。

この状況、現実主義の吉田茂なら、どう捉えるだろう。男系男子の養子にこだわらない、むしろ無理と判断する。そう希望的に捉えたい。だって、和子さんにならうなら、「この情勢をちょっとみれば、この時点で旧宮家の男系男子養子案が皇室典範改正案として望めるかどうかはあきらかです」だから。

吉田茂(1878年‐1967年)1947年2月4日撮影
吉田茂(1878年‐1967年)1947年2月4日撮影(写真=首相官邸ホームページ/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

麻生氏からすれば「祖父のレガシーの否定になる」

一方で、皇室典範が施行された1947(昭和22)年の総理大臣は吉田だ。「男系男子」への思いを探るべく、施行前年12月5日の帝国議会衆院本会議の議事録を見た。皇室典範についての議論がされている(第91回帝国議会 衆議院 本会議 第6号 昭和21年12月5日)。

吉田茂は会議冒頭、「なぜ皇位継承権は男系の嫡出子のみか」という質問に短く答えただけだ。「天皇陛下は国の象徴、国民おのおのの象徴」、つまり国民の手本となるべきお方だから、正当の結婚で生まれたお方に限りたい、と答え、こう続けた。

〈御血統の純粹性を保つ上からも、皇室會議の議を經たる、正當の結婚に基づいてお生れになつたお方に限るとすることが適當である、こう考へました〉

お方、という表現が吉田の思いなのだろう。だが、男系男子へのこだわりがどれだけあるかはわからない。この会議、複数の議員が「女帝を認めないこと」について質問しているが、答えたのは金森徳次郎・国務大臣だった。

質問者は全員、「男女平等」を掲げる新憲法との齟齬を聞いていた。金森は、これから男性皇族が皇位継承者にいなくなるという事態は「およそ見透しまする所、容易に起り得ないことのように考えます」と答えていた。今にすればごく甘い見通しだったが、金森は同時に「女性天皇は今後の研究課題」だと繰り返してもいる。

次代の皇位継承者が悠仁さまだけという現状を前に、吉田がどう判断するか。この議事録からははっきりしない。一方、吉田総理のもとで皇室典範が施行されたことは、麻生太郎という人に大きく影響を与えているのだろうということは想像に難くない。

麻生さんにとって女性天皇(たとえば愛子さまだが)を認めるのは、単なる制度の変更ではなく、祖父のレガシーの否定になるのか。と、ここまで考えると何となくだが、彼の頑な感じがわかる気もする。

旧宮家の当事者「女系が入っていてもいい」

私は「男系男子による皇位継承」とは「女性を『男子じゃないほう』に押し込める制度」と理解している。そこに生まれても、結婚して参入しても、女性は女性だからとメインストリームから外される。そんな組織に持続可能性はないと何度も書いている。こういう目線に注目するのが、現実主義の「臣茂」ではないか。そう思いたい私がいる。

文藝春秋」7月号は「高市政権と皇室典範」を特集している。その中に「養子案、旧宮家の本音を明かしましょう」として旧宮家の一つである久邇家の久邇朝宏さん(第3代当主・朝融氏の三男)のインタビューが載っている。養子案について〈私自身は、まったく考えたことがありません。仮に復帰したとして、気位がもう平民ですから〉と言い、〈私自身は、女系が入っていてもいいのではないかと思ってます〉と明言している。

久邇さんは1944(昭和19)年生まれ。学習院初等科では三笠宮崇仁さまの長女・甯子さんと同級生。学習院大理学部から日立製作所に入り、現在は学習院初等科桜友会会長。皇室が身近でも「男系男子」にこだわらない人は確かにいる。

特集の最後は、政治学者・御厨貴、作家・林真理子、元首相・野田佳彦の三氏による鼎談だった。「拙速改正で日本を分断するな」「具体案なき『旧宮家養子案』は課題だらけだ」と見出しが立っている。

「微動だにしない」愛子さまに引き継がれた帝王学

「帝王学」が話題になった。御厨氏が「戦後の皇族の方々は、ご家族の姿から『皇室とは何か』を学んできた」と言い、林氏が「頭の下げる角度ひとつとっても、非常に学ばれている」と返した。野田氏は「それこそ愛子さまなんて、行事のときは微動だにしませんからね」と続けると、御厨氏が今年1月の「講書始の儀」の話をした。

皇族方に「オーラル・ヒストリーとは何か」を講義したが、愛子さまはピタッと止まっていた。でも人形のように不自然なのではなく、表情も豊か、他の皇族とも少し違うという話だった。

2019(令和元)年10月の「即位礼正殿の儀」を思い出した。テレビ中継を見て気づいたのが、天皇陛下がほとんどまばたきをしないことだった。あまりにも動かないので、静止画像なのかと思ったほどだった。

雅子さまは何度もまばたきをしていて、緊張が伝わってきた。その点、陛下は全くの平常心に見え、天皇家で育つとはこういうことなのだと思った。ピタッと止まっている愛子さまという御厨氏の言葉を受け、野田氏は「ある種のご覚悟をもって、ご公務に臨まれていますよね」と言っていた。

天皇皇后陛下並びに愛子内親王陛下(2022年撮影)
天皇皇后両陛下と愛子さま。2022年12月撮影(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

麻生氏は「平安時代の藤原氏のようになる」

鼎談では「どういう人がどの皇族の養子に入るのか」についても論じられた。御厨氏は「三笠宮寬仁親王妃家に養子が取られたら、麻生さんが天皇の外戚になり、平安時代の藤原氏のようになる」とし、「皇族の政治的中立性」への懸念を示した。麻生さんは今、道長気分で「この世をばわが世とぞ」思っているのかと想像すると、本当にどんよりする。

政府与党連絡会議のため、首相官邸に入る自民党の麻生太郎副総裁=2026年1月9日
写真提供=共同通信社
政府与党連絡会議のため、首相官邸に入る自民党の麻生太郎副総裁=2026年1月9日

日本大学の百地章名誉教授の独自調査によれば、久邇宮、東久邇宮、賀陽宮、竹田宮の旧4宮家に「20代以下の未婚の男系男子が少なくとも10名はいる」そうだ。

今後、国会の会期末までに改正案がどうなるのかはわからない。一つだけはっきりしているのは、養子になった男系男子が皇族になり、儀式に臨んだら、きっと体がぐらぐら揺れてしまうだろうということだ。