あまりに問題含みの「養子案」の正体
最初に皇室典範が定められたときには、「永世皇族制」がとられた。これは、一度皇族になった人間は、本人はおろか、その子孫を含め、何代経とうが永遠に皇族だという制度である。
それも明治天皇にはのちの大正天皇しか男子が生まれなかったからで、皇族の確保が必要と判断されたのだ。
明治政府は、皇位継承の資格がある皇族を増やそうと、今議論になっている旧宮家を創設した。ところが、そこに多くの男子や女子が生まれたため、このままいけばネズミ算式に増えていくことが予想された。それでは財政がもたない。
そこで増補の第1条では、「王ハ勅旨又ハ情願ニ依リ家名ヲ賜ヒ華族ニ列セシムルコトアルヘシ」と規定された。つまり、皇族から離れ、国が財政的には“援助しない”華族になることが促されたのだ。当然、いったん華族になった人間が皇族に復帰しては困るわけで、そこで第6条の規定が生まれたのである。もしも、この増補の規定が今も生きていたならば、養子案はまったく成り立たない。
そうしたあまりに問題含みの養子案が難航する一方で、「愛子天皇」待望論が高まるのは、そこに天皇、あるいは天皇家の意思が反映されているからである。
3席並んだ「講書始」後の懇談の場
最近、愛子内親王を含めた一家で国民の前に現れることが多くなったのも、愛子内親王を中心に打ち出そうとする、天皇皇后の意思の表れと考えられる。
実は、今年のはじめ、その意思が明確になった瞬間があったのである。それを、私が知ったのは早慶戦観戦の前日のことである。
私は朝日カルチャーセンター新宿教室で、政治学者の御厨貴氏と「時事イ放談」という講座を行った。御厨氏は長くTBSテレビで「時事放談」という番組に出演していた。お互い「じじい」になったので、「じじい放談」というわけである。
5月30日は、その4回目の講座となったが、皇室のことが大きなテーマになった。というのも、御厨氏は、今年1月9日の「講書始」で講師を務めたからである。
そこに至るまでの経緯も興味深いものだったが、一番衝撃的な話は、皇居正殿「松の間」での講義後、「懇談の席」で起きたことだった。
講師は3人で、その懇談の場には3つ席が用意されていた。講書始は、講師が天皇皇后をはじめ皇族に対して講義を行うものであり、そこに天皇と皇后が座ることが予想された。御厨氏には、席が1つ余計に思えたという。
実際、天皇と皇后が入場し、講師と挨拶を交わした。すると、天皇が目で合図すると、ふたたび扉が開き、愛子内親王が入ってきたというのである。席は愛子内親王のためのものだったのである。
それだけではない。