「特殊な空間」としての学校

――必ずしも学校に行かなくていいとなると、学校に行く意味はなんですか?

私は、学校の意味がなくなったとは思っていません。ただ、学校が「子どもが行かねばならない唯一の場所」ではなくなってきているとは感じています。

フリースクールやオンラインでの学びなど、学校以外の選択肢が広がってきたことも、その背景にあると思います。

学校にはもちろん勉強という価値もありますが、学校のもう一つの特徴は、同じ年齢で、同じ地域に育った子どもたちが同じ空間に集まり、長い時間を共に過ごす環境にあります。社会に出ると、こうした条件で人が集められることはほとんどありません。その意味で学校は、ある種とても「特殊な環境」だと考えています。

だからこそ、そこでうまくいかなかった経験を、そのまま自分の対人関係すべてに当てはめる必要はありません。同じ条件が揃うことは、その後の人生ではほとんどないからです。

一方で、そのような環境の中で心が揺れる経験をしながら、人とうまくいかなかったり、分かり合えないことに直面することもあります。その中で、関係の取り方を試していくこともあるでしょう。対話を重ねることもあれば、距離を取る選択をすることもあるはずです。

そうした試行錯誤を、完全に一人で背負うのではなく、教員や私たちカウンセラーなど、周りの大人に見守られながら経験できることには、一つの意味があると感じています。

安心して失敗できる場所

学校にいる間は、守ってくれたり助けてくれたりする大人が存在します。その意味では、子どもが比較的安全に、そして安心して失敗できる空間だと言えます。守られた環境の中で、成功体験だけでなく、うまくいかない経験や、他者と分かり合えないという挫折も含めて体験できることには意味があります。

ただし、それが「苦しい思いをしてでも我慢しなければならない場所」や、「その苦しさが糧になる」という精神論になってしまってはいけません。学校は無理に適応する場所ではなく、「自分と他者とがどう関わるかを試行錯誤できる場」として使われていくことに意味があるのだと思います。

授業中の面白いプレゼンテーションやパフォーマンスに笑う中学生
写真=iStock.com/ferrantraite
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