原発の立地自治体への初めての訪問

戦後においては、昭和34(1959)年に伊勢湾台風によって愛知・三重両県を中心に5000人を超える死者・行方不明者が出ており、その際には、昭和天皇の名代として皇太子であった現在の上皇が被災地を訪れている。

1959年9月、伊勢湾台風による洪水被害
1959年9月、伊勢湾台風による洪水被害(写真=陸上自衛隊第10師団/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

ここから、大規模な災害が起こった際に天皇や皇族が被災地を訪れる慣習が成立する。

上皇にはそうした経験もあり、昭和61(1986)年に伊豆大島・三原山噴火の避難所を訪問しているが、そのときから夫妻で床に膝をついて被災者と対話する「平成流」が確立される。

上皇夫妻は、東日本大震災発生から1カ月後からは、7週連続で被災地を日帰りで訪れている。そのなかには福島県も含まれていたが、原発の立地自治体を訪れることはできなかった。

そうした地域に、今回初めて天皇一家が足を踏み入れたことになり、事故後、苦しい生活を強いられた住民たちを励ました。

東日本大震災のそれぞれの記憶

このため、今回の訪問では、東日本大震災から15年の歳月が流れたことが改めて印象づけられた。

それは日本全体、さらには世界にも衝撃を与えた大災害ではあった。ただし、その後に生まれた若い世代、あるいは、2011年にはまだ幼かった世代には、震災と原発事故の直接の記憶はほとんど残っていないはずだ。

それよりも上の世代になれば、記憶は今でも鮮明であろう。私は震災当日、新宿で夫婦ともどもある勉強会に出ていたが、地震が起こって外に出てみると、西口の高層ビルが揺れている光景を目撃した。そうした光景は初めてで愕然がくぜんとした。

しかも、電車が止まり、自宅に戻れなくなってしまう。しばらく状況を見守っていたが、歩いて帰るしかなかった。子どもは小学生で、一人では学校から帰ることができず、迎えにいくまでにかなりの時間を要した。

人によって記憶はさまざまであろうが、忘れ難いものであることは間違いないであろう。事故を起こした原発がどうなるのか、日々それを強く気にしながら生活していたことや、節電で街が暗かったことも覚えている。

そして愛子内親王は、その年、わずか9歳であった。