今国会で、皇室典範改正が動き出す。高市首相が改正に意欲を示し、与野党協議も近く再開される見通しだ。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「改正議論は制度のことばかりになり、人間としての天皇や皇族の心を察するものにはなっていない」という――。

愛子さまを伴う天皇一家の被災地訪問

私たちは、天皇や皇族の行動を見ていく場合、そこにどういったメッセージが込められているかを常に考える必要がある。

それは、4月6日から7日にかけての天皇一家による東日本大震災の被災地である福島県訪問についても言える。

重要なのは、そこに愛子内親王が同行したことだ。愛子内親王はすでに能登半島地震の被災地を単独で訪れているが、東日本大震災の被災地は初めてだ。

今上天皇夫妻が、愛子内親王の同行を強く望んだというが、そこには、内親王の未来への希望と期待が込められている。とくにそれは、今、議論として取り上げられている「女性宮家の創設」ということに深く関わっているかもしれないのだ。

天皇一家は本来なら宮城・岩手両県を先に訪れるはずだった。ところが、天皇と皇后に風邪の症状があり、宮城・岩手両県訪問は延期になった。

福島県の場合には、福島第一原子力発電所の爆発事故によって、周辺地域に放射性物質が漏洩ろうえいした。そのため、今でもその地域から避難している住民が少なくない。天皇一家が、先に福島県を訪れたことで、原発事故の重大さが改めてクローズアップされる形となった。

福島県庁に到着された天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2026年4月6日、福島市[代表撮影]
写真=時事通信フォト
福島県庁に到着された天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2026年4月6日、福島市[代表撮影]

関東大震災で被災した皇族たち

天皇が大規模な災害による被災地を訪れることは大正時代に遡る。

大正12(1923)年には関東大震災が勃発し、死者・行方不明者は推定で10万5000人に達した。東日本大震災の死者・行方不明者が総計で2万2332名なので、それをはるかに上回った。

関東大震災では、皇族にも被害者が出ている。神奈川の鵠沼くげぬまに滞在していた東久邇宮稔彦ひがしくにのみやなるひこ王は、のちに敗戦直後には首相にも就任するが、当時5歳だった師正もろまさ王を失っている。ほかにも閑院かんいん宮家の寛子ひろこ女王と山階やましな宮家の佐紀子さきこ女王が建物の倒壊によって亡くなっている。

関東大震災が起こった時点で、大正天皇は病にあり、皇太子であった昭和天皇が摂政をつとめていた。昭和天皇は馬に乗って、上野など下町の被災地を視察している。

一方で、貞明ていめい皇后(大正天皇の皇后)の発案で「巡回救療班」が組織された。貞明皇后が、上野公園で被災者を見舞った写真も残されている。

こうした光景は今回の福島県訪問と重なる。

原発の立地自治体への初めての訪問

戦後においては、昭和34(1959)年に伊勢湾台風によって愛知・三重両県を中心に5000人を超える死者・行方不明者が出ており、その際には、昭和天皇の名代として皇太子であった現在の上皇が被災地を訪れている。

1959年9月、伊勢湾台風による洪水被害
1959年9月、伊勢湾台風による洪水被害(写真=陸上自衛隊第10師団/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

ここから、大規模な災害が起こった際に天皇や皇族が被災地を訪れる慣習が成立する。

上皇にはそうした経験もあり、昭和61(1986)年に伊豆大島・三原山噴火の避難所を訪問しているが、そのときから夫妻で床に膝をついて被災者と対話する「平成流」が確立される。

上皇夫妻は、東日本大震災発生から1カ月後からは、7週連続で被災地を日帰りで訪れている。そのなかには福島県も含まれていたが、原発の立地自治体を訪れることはできなかった。

そうした地域に、今回初めて天皇一家が足を踏み入れたことになり、事故後、苦しい生活を強いられた住民たちを励ました。

東日本大震災のそれぞれの記憶

このため、今回の訪問では、東日本大震災から15年の歳月が流れたことが改めて印象づけられた。

それは日本全体、さらには世界にも衝撃を与えた大災害ではあった。ただし、その後に生まれた若い世代、あるいは、2011年にはまだ幼かった世代には、震災と原発事故の直接の記憶はほとんど残っていないはずだ。

それよりも上の世代になれば、記憶は今でも鮮明であろう。私は震災当日、新宿で夫婦ともどもある勉強会に出ていたが、地震が起こって外に出てみると、西口の高層ビルが揺れている光景を目撃した。そうした光景は初めてで愕然がくぜんとした。

しかも、電車が止まり、自宅に戻れなくなってしまう。しばらく状況を見守っていたが、歩いて帰るしかなかった。子どもは小学生で、一人では学校から帰ることができず、迎えにいくまでにかなりの時間を要した。

人によって記憶はさまざまであろうが、忘れ難いものであることは間違いないであろう。事故を起こした原発がどうなるのか、日々それを強く気にしながら生活していたことや、節電で街が暗かったことも覚えている。

そして愛子内親王は、その年、わずか9歳であった。

天皇皇后の強い意志による愛子さまの同行

愛子内親王は2001年12月1日の生まれであり、東日本大震災が起こったときには、学習院初等科の3年生である。したがって、東日本大震災について、これまで自身の記憶について語ったことはなかった。その年齢であれば当然のことだろう。

東日本大震災の被災地(2011年3月12日)
東日本大震災の被災地(2011年3月12日)(写真=アメリカ合衆国海軍/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

すでに愛子内親王は昨年5月に、2024年元日に起こった能登半島地震の被災地、石川県を訪れているわけだが、こちらは直近の出来事であり、愛子内親王にも強い印象を残したはずだ。

その意味では、今回の福島県の被災地訪問は、石川県の被災地訪問とは異なるものと考えられる。

そこで重要なのは、冒頭にも述べたように、今回の被災地訪問に愛子内親王を同行することが、天皇皇后の強い意志にもとづくものだという点である。

公務に込められた今上天皇のメッセージ

最近では、天皇一家で国民の前に姿を現すことが多くなっている。

それは大相撲やWBCの観戦でも見られたが、昨年9月には、戦後80年ということもあり、原爆が投下された長崎を一家で訪れている。平和公園の「原子爆弾落下中心地碑」で供花し、長崎原爆資料館を視察するとともに、被爆者や語り部と懇談した。

戦争被害に対する慰霊の旅は、上皇夫妻にとってのライフワークで、今上天皇夫妻にも受け継がれている。今やそれを愛子内親王に伝えていくことに力が注がれるようになった。そのために、一家でという機会が増えており、そこには、世代を超えての継承を果たさなければならないという今上天皇夫妻の強い思いが込められている。

今回の東日本大震災の被災地訪問は、まさにそれが一つの目的とされたわけである。

そこで重要なのは、天皇夫妻が、愛子内親王への継承を通して、そのことの重要性を国民全体に示していることであり、さらには女性皇族のあり方についても一定のメッセージを発しているように見えることである。

高市首相の方針への政治学者の批判

そんななか、福島県に一家が出発した4月6日の「朝日新聞」朝刊には、政治学者の御厨みくりや貴氏のインタビューが掲載された。御厨氏は、上皇の生前退位の際に特例法を制定するための有識者会議で座長代理をつとめている。

その会議の報告書には、「附帯ふたい決議」がついており、そこでは、「政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方の御年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方の御事情等を踏まえ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」と明記されていた。

ところが、皇室典範の改正に意欲を示している高市首相の方針では、むしろ旧宮家の養子案を最優先している。

御厨氏は、これについて、それは有識者会議とそれにもとづく与野党協議において、女性宮家の創設と養子案双方について議論してきたことを覆すものだと批判している。もし養子案を採用しようというのであれば、改めて国会議員以外からも幅広く意見を聞く会議体を設ける必要がある、というのである。

未婚の女性皇族の曖昧な立場

国会では、こうした問題についての協議が4月15日から再開されることになっており、その行方が注目される。

養子案で話がまとまるとすれば、女性宮家の創設は見送られ、女性の皇族は結婚したら皇室を離れることになる。皇室典範では、第12条において、「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と定められているからである。

現在の皇室典範は、女性天皇を認めていないだけではなく、皇室に生まれた女性が、ずっと皇族として活動することも認めていない。しかも、結婚せずに皇室に留まることは想定されておらず、未婚である内親王や女王の身分は曖昧なものになっている。

もし愛子内親王が近々結婚すると、皇室を離れることになり、それ以降は、皇族としての活動はできなくなる。

もちろん、それで皇室との関わりがまったくなくなるわけではない。今上天皇の妹である黒田清子さやこ氏が天皇家ゆかりの伊勢神宮の祭主となったように、元皇族としての活動の余地はある。ただ、実際の活動はそうしたことに留まるとも言える。

果たしてそれでいいのか。それが問われるのである。

2012年1月2日、皇居における「新年一般参賀」の様子
2012年1月2日、皇居における「新年一般参賀」の様子(写真=ぱたごん/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

愛子さまへの「継承」を望む今上天皇

今上天皇夫妻としては、現在の制度がある以上、愛子内親王に「天皇に即位してほしい」とまでは望んでいないかもしれない。

それでも、たとえ結婚したとしても、皇室から離れてしまうのではなく、皇族として、あるいはそれに近い立場で活動を続け、自分たちが行ってきたことをしっかりと受け継いでほしいとは考えているはずだ。

ただ、天皇については、日本国憲法の第4条で、「国政に関する権能を有しない」と定められており、皇位継承の問題や皇族のあり方について発言することは封じられている。皇后については、そうした規定はないが、それに準じると考えられている。

これが天皇以外の皇族になると多少緩和されるところもあり、事実、三笠宮家の寛仁ともひと親王などは生前、「男系での皇位継承」を揺るがせにしてはならないと女性天皇に反対するだけではなく、実現は難しいとしながらも、側室制度の復活さえ主張していた。

「女性宮家の創設」は喫緊の課題

今上天皇は、上皇が、憲法の規定を無視する形で生前退位の意向を表明し、それが大変な騒ぎになったことを熟知しているので、発言には極めて慎重である。

ただ、愛子内親王への継承というところに力を注いでいることは、一つのメッセージとして受けとる必要がある。

その上で、御厨氏も主張しているように、国会は養子案だけではなく、女性宮家の案についても協議を重ね、その実現を図るべきである。

少なくとも、女性皇族が結婚するにしても、しないにしても、将来どういった道を歩んでいったらいいのかを示すことは不可欠である。これまでのところ、その点についての議論はまったく行われていない。

果たしてそれでいいのか。議論は制度のことばかりになり、人間としての天皇や皇族の心を察するものにはなっていないのである。

2026年4月6日、福島県を訪問された天皇皇后両陛下と愛子内親王殿下(出典=宮内庁Instagram[@kunaicho_jp])