相手は20歳上、戊辰戦争では活躍

福之進は戊辰戦争で黒羽藩二番隊隊長として従軍した。川に飛び込んで敵陣に潜入し、舟を奪う活躍をしたという。なかなかの猛者もさ、隊長を任されるくらいだからそれなりに有能で人望もあった。軍人に向いた性格だったようである。維新後は陸軍軍人となり、故郷を離れて東京鎮台や熊本鎮台に赴任した。長い軍隊暮らしで婚期を逃したのだろうか。

現代に比べて歳の差婚は多かった当時だが、20歳以上離れているのは珍しい。それでチカも腰が引けていたようなのだが。相手は維新の世を上手く乗り切って、黒羽でも有数の資産を築いている。士族には珍しい成功者で、人物の評判も悪くない。「玉の輿こし」とうらやむ声も多かった。また、チカもそろそろ行き遅れを心配される年齢になっている。当時の女盛りは15~18歳といわれており、「娘十八、番茶も出花」なんて言葉もあった。弾右衛門はそれも気にして焦っているようだった。

知命堂病院の看護師長となった大関和(右)、知命堂病院院長夫人の瀬尾ソノと
のちに知命堂病院の看護師長となった大関和(右)、知命堂病院院長夫人の瀬尾ソノと(写真=医療法人知命堂病院提供

当時の女性としてはタイムリミット

ふだんのチカであれば、気に入らない縁談などきっぱり断っていただろう。が、このときはそれが言えなかった。病をかかえる父はめっきり老け込んで、元気がなく暗い表情をしていることが多い。しかし、この縁談話が持ち上がってからは「良縁だ」と大喜びして、最近はよく笑うようになっている。父の笑顔を曇らせることはしたくない。結婚は親孝行のためと割り切ることにした。

相手の顔や性格もよく知らないまま、親が結婚を決めてしまう。当時は珍しくないことだ。結婚は親孝行のため、家のためにするもの。チカだけではない、大半の娘たちがそう考え割り切っている。