ハードワークとタバコが体の負担に
セツが語る物語に、八雲が魂を吹き込む。そんな再話文学の執筆の勢いはましてゆきます。1899(明治32)年の『霊の日本』、1900年『影』、01年『日本雑記』、02年『骨董』と出版は続きます。執筆は家族が寝静まった夜におこない、夜更けまで続きます。
帝大の講義の支度をし、こなしながら、かつ朝夕のホームスクーリングにも熱を入れながらですから、寝る間もないほどのスケジュールです。体への負担は重くなるばかりでした。大好きなタバコをきらさなかったのも響いたでしょう。体力には自信のある人でしたが、身中に暗い影を帯びていきます。
毎年、本を出し、生き急いだ
生き急ぐ八雲は、時間を惜しみました。子どもたちにも時間を無駄にするな、とカミナリを落とすことがありました。
もともと人付き合いには熱心ではないのですが、西大久保の自宅に暮らすようになった頃には帝大の講師でもあり、作家として知名度も上がっています。訪ねてくる人がいても「時間を持ちませんから、お断り致します」などと家の者に言わせて、まず応じませんでした。
電話をつけませんか、とセツが勧めても受け入れるはずもありませんでした。
それぐらい寸暇を惜しんで執筆していました。ただ、大学の教壇に立ちながらですから、書く時間が限られることをいつも憂えていました。
あんまり根を詰めているのを見かねたセツはある時、いさめます。
「あなた、自分の部屋の中で、ただ読むと書くばかりです。少し外に自分の好きな遊びして下さい」
八雲は意に介しません。
「私の好きの遊び、あなたよく知る。ただ思う、と書くとです。書く仕事あれば、私疲れない、と喜ぶです。書く時、皆心配忘れるですから、私に話し下され」
日頃、再話文学への取り組みでタッグを組むセツも負けじと返します。
「私、皆話しました。もう話持ちません」
すると、八雲はこう切り返します。
「ですから外に参り、よき物見る、と聞く、と帰るの時、少し私に話し下され。ただ家に本読むばかり、いけません」