銀座や新橋のキャバレーで脱ぐ
メリーは銀座や新橋のキャバレーで踊った。衣装も自分で作った。あくまで肉体美の追求のつもりだったが、周囲の反応は冷たかった。踊り子仲間からは「呆れた、凄いもんだ、人前であんな恥さらしをするなら、夜の女にでもなったほうがましだ」と言われた。親戚や両親からも「そういうみっともないことはしてくれるな」と懇願され、いっそやめてしまおうかとも思ったが、ショーの熱気はほかでは味わえないものだった。
この年の12月1日、芝田原町にあった国際観光ホテルの地下で会員制の秘密ショー「芸能懇談会」に出演した。会場には大野伴睦や児玉誉士夫をはじめ、政府高官など300人がひしめき合った。演し物は、壺を持ったメリーが森蔭の湖水で水浴びをして帰る「湖に水浴する女」。メリーと矢野は半年前からコンビを組んでこの演目を千葉や茨城、都内の宴会場などで上演していた。
会員制の出し物で警察に捕まる
衣装は乳房を薄い布で覆い、乳首にスパンコールをつけ、下腹部は小さな三角形のスパンコールの布で覆ったもので、後ろ姿は完全な裸だった。会員制だから大丈夫と言われて出たが、場内の電気が点いた途端に私服警察に取り押さえられた。ホテルの周囲にはすでに20名の警官が取り囲んでいた。ふたりは主催者らとともに公然わいせつ罪で検挙され、愛宕署に3日間勾留されて罰金500円を支払った。政治家たちにはおとがめなしだった。
ヌードショーはドル箱企画となり、日劇、浅草常盤座、飛行館、東横劇場など都内で9カ所の劇場が追随し、全国では78カ所に増殖した。また、8月には日本初のストリップ専門劇場、浅草ロック座も誕生した。
下腹部を布で覆う「バタフライ」
メリーはこのロック座で翌年3月、「ハイライトショー」と銘打ち、矢野の振り付けで「南国の処女」を踊った。このとき初めて下腹部に付けるスパンコールを蝶の形に作り、バタフライと呼んだ。以後、バタフライは下腹部を覆う布の通称となった。
公然わいせつ罪で捕まったという噂の踊り子を一目見ようとロック座には客が大挙した。くたびれた背広と帽子を被った永井荷風もよく楽屋に来た。読み方を知らない踊り子は「ニフウさん」と呼んでいた。
メリーは池袋文化劇場にも出演。矢野演出の「タッセルショー」で客席に降りて客の頬をつつき、顎を撫でるなどして踊った。
文筆家、挿話収集家。戦前文化、教科書に載らない女性の調査を得意とする。著書に『20世紀破天荒セレブ ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会)、『明治大正昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』(河出書房新社、ちくま文庫)、『戦前尖端語辞典』(編著、左右社)、『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)、『明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記』(左右社)など。